今晩、入塾問い合わせをいただいたM様

 以下の内容をメールしましたが、受信拒否でお届けできませんでした。

 おそらくスマホのメール受信の初期設定が、コンピュータからのメールを自動的に拒否するように設定されていると思われます。

 恐れ入りますが、受信設定を変更し、塾のメールアドレスを受信可能にご指定くださいますようお願いもうしあげます。

 

M***** 様

 

はじめまして。

 

ご連絡ありがとうございます。

また拙いブログをご拝読いただきありがとうございます。

 

高校入試はチャレンジ精神が大切です。

常々、今の学力ではなく、これからの伸びしろを考えて指導したいと思っています。

また広大附属福山高校は挑戦しがいのある学校です。

道のりは平たんではありませんが、志す生徒みんなに開かれています。

お嬢さんの夢の実現にお力添えできれば幸いです。

 

入塾の流れは以下のとおりです。

  •  入塾案内   (20分程度 案内書をお渡しして概要を説明いたします)
  •  入塾試験   (3時間半程度 英・数・国・作文) 
  •  入塾試験講評 (20分程度 原則として入塾試験の翌日 指定時刻)

 

 

入塾案内は、保護者のみでも、生徒同伴でもOKです。

明日は、たまたま変則スケジュールで時間がとれません。

日曜日であれば、午前11:30-12:00の時間帯で入塾案内可能です。

他の時間帯は、受験生の特訓と二学期の保護者懇談で午後7:00まで空いていません。

午後7:00以降でもよろしければ、入塾案内をさせていただきます。

月曜日以降では、午後4:20-4:40が入塾案内の時間です。

来週は、火曜日、木曜日以外はOKです。

 

以上、ご不明の点があれば遠慮なくご質問ください。

もし上記時間内でお越しになれる日時があれば、ご連絡ください。

また入塾試験は平日午後5時以降で可能です。案内の際にご相談したいと思います。

 

LEC 村上

 

 

 

失礼とは思いましたが、他に連絡手段もないのでブログで連絡させていただきました。

ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

負け慣れ

 リオ・オリンピック、日本卓球女子チームの監督さんのお話を読んでいて、はっとする部分があった。以下、引用。

 

卓球は、ほかの単身競技に比べて、大会出場機会が段違いに多い。だから負ける回数も多い。ほとんどの大会で、負けて帰ってきます。つまり「負けるときはこういうものだ」というのをみんな知っているわけです。「負けを出発点にして次に向かう」という習慣が、卓球競技の中で醸成されているんです。負けて終わりではない。3位決定戦があるなら、そこに向けて最善を尽くす。みんなその意識でいるんです。

 

福原愛、リオ五輪「涙のエッジボール」猛抗議の舞台裏 日本女子卓球監督・村上恭和氏に聞く(第1回)|情熱クロスロード~プロフェッショナルの決断|ダイヤモンド・オンライン

 

 LECの受験指導のあり方を重ね合わせて読み解くと、、、

 LECの中学受験。

 広大附属福山中学の入試に、毎年10名前後の生徒が挑戦し、ほとんどの生徒が失敗する。例年、多くて4名、少なければ合格者は1名だけということもある。それなりに高い可能性をもった子たちがボロボロ落ちてゆく。福山市立中学まで含めて考えると、もっと合格率は低くなる。

 高校入試。広大附属福山高校のリベンジ合格率はさすがに高い。本来なら中学から合格してよかった子たちが多いのだから当然と言えば当然で、塾の指導力というより、リベンジを誓って三年間努力を惜しまなかった子たちの努力の賜物といったほうがよい。一方、内申不足を背負ったハイリスクの誠之館受験にも失敗することが多い。挑戦的な受験が功を奏することもないわけではないけれど、本人のよほどの覚悟がなければ、たんなる冒険主義で終わってしまう。内申のハンディを覆すのは容易なことではない。合格したいという熱い気持ちがすべてを解決してくれるわけではない。志望校の選定にあたって塾屋として自戒しなければならないことは多い。

 しかし、くじけず、しぶとく、今年も、方針を変えることなく「迷うくらいならチャレンジしろ。受験せずにあとで後悔するくらいなら、とことん頑張って受験して、それでも不合格になったら、死ぬほど悔しがって次につなげろ!」と強気モードで生徒の背中を押している。

 そういうわけで、保護者の方々には時に耐え難い心痛をおかけすることになっている。歓喜の瞬間が目の前に迫っていながら、絶望のどん底に叩き落されるということも数多くあった。

 お詫びの言葉もない残念な結果を毎年のように再生産し続けている。

 厚顔無恥の誹りを免れない、と思う。

 

 にもかかわらず、思いは変わらない。

 失敗に拘泥せず、たとえ心切り裂かれるような結果でも堂々と受け止め、乗り越え、次の機会に備えるための歩みを止めてはならないと。

 これまでそう考えて指導してきた。そして、おそらく、これからも。

 

 受験生には、良い意味での「負け慣れ」が必要だ。失敗しても、切り替えて上を向き、次のチャンスを生かすために、今できることに全力を注ごうとする、その姿勢が重要なのだ。連戦戦勝してやっていけるわけがない。人生は敗者復活戦の連続だと考えたほうがよほどすっきりする。「敗者にこそ復活する権利があり、義務がある」

 「負け」に「慣れる」とは、「打たれ強く、しぶとく、あきらめずに最後まで戦い抜く」ということだ。だから、負けた時こそ、目をそらさずありのままの自分を見つめよう。映し出された自分の弱点や短所をひとつひとつきちんと認識し、足りなかった演習や、考えの及ばなかった点を考え抜く練習をしよう。

 未来への投資を怠らずに継続したものだけが、最終的な果実を手に入れる。

 長い話だ。

 どこまでも続く。

 

 

『そういう系?』

 小5の算数、小テストの間違い直しの時間、生徒から基本問題を質問された。やれやれ、と思いつつ、サラッと解説してみせたら、「なんだ、『そういう系』かぁ」「『そういう系』ね」と、一斉に『そういう系』の十字砲火を浴びた。

 好みの言葉ではなかった。

「すまないが、『そういう系』という言葉を使わないでほしい。『そういうやり方』というべき時に、『系』一語で、あいまいにまとめないでくれ。おじさんの辞書にそんな言葉は載っていない。子ども同士で使うのはかまわない。勝手に使ってくれ。でも塾では使わないでほしい」

 彼らからすれば、「この問題はテストの時は解けなかったけれど、解説をきいてみれば実に簡単で、ちゃんとやればできたはずだ、だから、次からは簡単に解くことのできる類の問題だぁ」と言いたかったのだろう。たぶん。

 だが、おそらく、ダメだろう。

 「そういう系」と、曖昧なカテゴライズをしてしまう認識力、もしくはその程度の表現力では、次回(それがいつになるかわからないが)、また、失敗することだろう。なぜなら、記憶に刻印する反省もせず、問題の本質を見抜く努力もせず、表面的かつ安易で乱暴な感想を述べてわかったような気になっているからだ。

 まぁ、『系』を「やり方」に言い換えたところで、たいした違いはない。そこはまさに言葉の好みの問題にすぎない。村上の趣味を押し付けているだけじゃないか、と言われればまさにそのとおり。つまり、解説を聞いた時の彼らの即時反応の仕方が、あまりに軽く、真摯さに欠けていた点が問題なのであって、必ずしも使った言葉が問題ではない。

 だから、言葉尻をとらえて偉そうに趣味を押し付ける前に、もっと深く物事を考える姿勢を養ってやるべきだったのだろう。村上のこだわるポイントがずれていた。

 とすれば、彼らならこう言うだろう。

 『そういう系』はOK?

 

話題のアニメ

 この夏大ヒットした「君の名は。」を、「是非、見ろ」と娘にすすめられている。

新海監督のコアなファンからは、商業主義に堕した作品と評されているにもかかわらず、まさに商業的な大成功で映画界の話題をさらっている。アニメの舞台を「聖地巡礼」する若者たちの行動がネット上で話題にならない日はない。地方の町おこしに多大な貢献をしているそうだ。

 きちんと調べたわけでないけれど、LEC生で「君の名は。」を観た子は、いまのところ、高1男子と小6男子の2名。「ふつうの男の子が感動しやすい恋愛映画」らしいが、ふだん読書に興味を示さない少年が、休憩時間に原作を熱心に読んでいる姿をみると、裏付けを得たような気になる。

 村上が十代のころ、感動した恋愛映画をあげろ、と言われたら、「ローマの休日」が筆頭で、年代不問でおもいつくままに書くと、「ロミオとジュリエット」「ある愛の詩」「小さな恋のメロディ」、、、。

 映画を見てから原作を手に入れたり、FMからテープに録音したり、はまった少年のとるべき行動をとった。なんともはや。

 

 率直に言って、同じ観るなら「シン・ゴジラ」。

 ゴジラ≧恋愛。

 

中間試験対策のおだやかな日曜日、脳はセーブモードに入る

  朝、2時間、高3の英語の授業をした。和文英訳と英文解釈。国公立2次型のスタンダードな問題を、ひとりひとりのつくった答案を個別に批評しながら解説した。あまりよいできではなかった。「年内3か月を有効に使えば、現役生は1年分の学習ができる」と励ました。

 そのあと2時間は小6の適性検査対策。作文の上手ではない子らに、ポイントを押さえた文章(360字)の書き方をやってみせた。

 「いいかい、思ったことをダラダラ書いてもダメだ。指示に従って構成を考え、要求されている課題に的確にこたえていくんだ」

 焦らず演習を積み重ねれば、必ず上達する。上手ではない=伸びしろがある、ということ。たぶん、彼らが受験する学校の問題なら合格答案を書けるようになる。

 論理的思考力をみる問題は、五線譜と音符と繰り返し記号を使った見た目トリッキーな算数の問題。愚かにも「音楽の問題」と決めつけて、「わからん」とか言ってしまうと、アウト。ちゃんと問題文を読めば、算数の問題だとわかる。しかし、文章読解力がない子には無駄にハードルが高い。これを本当に「論理的思考力を問う」といってよいのかどうか。もっと素直な出題で、「論理的思考力」を問うことは可能だろう。解説をしながら、慎重に問題を選ぶべきだった、と反省した。

 先日結果が公表された文部科学省の学力テストの問題もそうだ。「過去問演習をしないように」、というお達しが、文部科学省から出た。しかし、あの学力テストのように、子どもらには、ふだんなじみのない出題形式で、何をこたえてよいのか考えさせられてしまう問題を目にしたら、教える側があらかじめ「慣れさせよう」と考えるのが自然だろう。

 文部科学省が調査しようとしている、子どもらの客観的な「学力」を客観的に測る「テスト」なんてものは、たぶん、ない。ある特定のテストに対して、どれだけ決められた手順で、最適解と認定された答えを出す力をもっているかどうか、結果として出てくるのは、そのデータにすぎない。それを「学力」と呼ぶのは勝手だが、そのデータをもとに各県の「教育水準」を比較し、批評することにどれだけ意味があるのか。行政が施策の検証をするためにエビデンスを必要とすることは理解できる。だったら、徹底的に子どもらの「学力」を伸ばすトレーニングを大いに奨励し、過去問演習も解禁してやればいい。過去問演習をしたことで、客観的なデータがゆがめられるような問題なら、出題そのものを根本的にあらためればよいだけの話ではないか。

 

 授業をしないで監督だけしていると、意識が遠のく。室内温度30度、湿度39%。村上にはすこぶる快適だ。油断すると睡魔に襲われる。子どもらのコンコンとシャーペンを走らせる音もパサパサと答案用紙をめくる音も、実に単調でどんどん頭の中がかすんでゆく。コーヒーに頼ってなんとか立っている。セーブモードに入った脳味噌でつらつら思い浮かんだ「学力テストをめぐる話」でした。

 

 

ゲーム機お預かり

 いつだったか、子どものゲーム機をバキバキに壊した写真をSNSにのせて、バッシングを受けた音楽家がいた。親子で決めたルールを破ったという大義名分(?)が理由だったように記憶している。賢明なやり方ではなかったけれど、気持ちは理解できた。

 今、LECは4人の生徒からゲーム機を預かっている。(1名は自主的に、3名は半ば強制的に)これはほぼ例年通りの人数。受験がすんだら返す約束になっている。

 ゲームに熱中して時間を無駄にすることがなければ干渉するつもりはなかった。受験勉強に支障がないのなら、暇なときに何をしようが基本的に自由だ。朝から晩まで管理するつもりはないし、できるはずもない。しかし、あきらかに、ゲームのやりすぎが、受験勉強に支障をきたしている子らを放任しておくのは塾屋として無責任だ。

 どの子も、きちんと説明し、納得させると、実に素直に持ってくる。不平不満はもちろんあるはずだ。しかし、みせない。立派なものだ。

 しかし、大切なのはここからだ。塾に期限付きでゲーム機を従順に「奉納」したからといって合格が約束されるわけではない。確保された時間とエネルギーをいかに生かすか、本質が問われる。受験勉強の中身が日々鋭く問われる。

 どうか賢くなってくれ、と願わずにいられない。目先の点数はどうでもよい。未来へ一直線につながる根底的な学習に励もう。考えて考えて考え抜き、反復して徹底するスタイルを確立していこう。いつだって、LECは君らとともにある。

 

ふふふ 再開します

 今朝の新聞で、ダイコンが不作、サンマが不漁、という記事を読んで、ブログを再開しよう、と思った。

 気まぐれだ。いつものように唐突に再開し、また、ある日突然止まる。

 経営者失格だろう。情報発信能力がないのだから。

 まっ、そんなことはどうでもいい。評論したい人にまかせておけばいい。

 

 漢字検定4級をめぐる話。

 印象として、5級と4級の間には暗くて深い溝がある。4級合格に苦労する小学生は多い。何度も失敗する子らに「努力不足だ、工夫が足りない」と言うのは簡単なことだ。あるいは、「まぁ、そのうち受かるから焦らず練習しなさい」と鷹揚に構えていられれば楽だ。その中間あたりにLECの立ち位置がある。

 漢字をガンガン覚えさせて、瞬間最大風速で140点の合格ラインを越えさせても、そんな身につけ方をした知識はすぐに失われる。弛緩した雰囲気で、集中力も低いまま練習しても合格ラインには届かない。

 あたりまえのことをあたりまえにやっていればすむ子もいれば、そこまでやるか、というレベルまでやる必要のある子もいる。いろいろ。それがおもしろい。

 しかし、おもしろがってすむ話ではない。

 漢字の意味や使い方をそれなりに理解しつつ、確実に漢字を暗記していく合理的方法を提示し、健全なインセンティヴを提供できているかどうか。漢字検定をするたびに、厳しく問われている。試されているのは、LECである。それは、子どもらが本当に身につけるべき知識かどうか。その方法論は正しいかどうか。

 さて、LECはどうなんだ。