月・火・水 と塾はお休みです。

 どこかにメモしておかないと忘れそうな数字

    広島県公立高校入試平均点  誠之館高校合格者平均点  各教科50点満点

H29 国語     23.9          30

   数学     23.0          29.3

   英語     15.9          24.4

   理科     17.1          31

   社会     19.3          25.9

  5教科平均   19.8          28.1

 

H30  国語     23.5          33.2

   数学     22.4          26.5

   英語     24.4          34.4

   理科     19.1          30.4

   社会     18.0          20.7

  5教科平均    21.5          29 

(データは県教育委員会と誠之館高校塾対象学校説明会による)

 

 公立高校入試の採点作業をする場面を勝手にイメージすると、何か殺伐としたものがある。学校によっては、得点率が5割を超える答案用紙が全体の1割未満という状況が毎年くりかえされているだろう。たぶん、あっという間に採点が終わって結果をパソコンに入力しても、内申点で決まった受験者の序列にたいした変化は現れないのではないか。

 憶測をもてあそぶのはやめよう。学校によっていろいろあるだろう。

 

 問題は、子どもたちの思考力・判断力・表現力を的確に判定する試験がおこなわれているのかどうか。いや、入試問題は受験者に対するメッセージであって、到達するべき地平を開示しているのだ、と言われれば、そのとおりだろう。教育委員会が掲げる理想を実践するべく、練りに練った良問が作成されていることは間違いない。

 

 しかし、公立中学校で実際にどんな授業が行われ、生徒たちの到達度がどの程度のレベルなのか、きちんと把握したうえで、生徒と教師の努力を促し、自己研鑽を奨励するような入学試験になっているのかどうか。公立中学校の学習内容をブラッシュアップするには、高校入試の中身をグレードアップして強制力を働かせればよい、という何か高圧的で上から目線の発想がありはしないか。

 

 中学生たちの思考力が未熟で、判断力が劣弱で、表現力が稚拙であることはもう十分わかった。

 塾屋の仕事もあきらかだ。課せられた責務を果たす、創意工夫が求められている。

 

 

 

 

 

 

新井さんとキク、スナフキンとムーミン。

 昨夜のヒーローインタビュー(クライマックスシリーズ第2戦、4-1で逆転勝ち)があまりにも美しくて、きょうまた見直してしまった。新井さんの「家族一丸となって」の名セリフは、何度聞いてもいい。

 そして、来年はこうした光景はもうないのだと思うとたまらなく寂しい。失われることを前提としているから、いっそう思い入れが募る。奇跡的に成立したおふたりのヒーローインタビューを見返したあと、ちょっとしたきっかけで、YouTubeのスナフキンとムーミンのやりとりばかりを集めた動画をみた。そして突然思いついた。「これって、新井さんとキク」

 動画には、悩めるムーミンに、スナフキンが辛抱強く暖かく道理を諭すシーンが繰り返し描かれていた。ムーミンのメンター(導師)としてのスナフキンは、キクにとっての「お兄ちゃん」そのもの。新井さんの言う「家族」が、チーム全員ならムーミン谷のメンバーは、いわばひとつの疑似家族。

 少年時代にムーミンの失敗や成長をみて子ども心に深い感動をあじわっていたのと同じように、今、日本一を目指すカープを日々応援している。たぶん、何も変わっていない。当時のカープは弱かった。とてもとても弱かった。強くなった今は、毎日がムーミン谷で暮らしているようなものかもしれない。

 カープの快進撃は、村上とってひとつのファンタジーなのだろう。

 

 

 

君は本気か

 「君は本気で受かりたいのか」

 目の前には少女がいる。第一志望の過去問演習を終えた。結果を申告用紙にまとめて怒ったように突き出す。算数は4割の得点もない。くやしさは十分伝わってくる。腹立たしさも。この気の強い子が絶望的な結果を肯定するはずがない。では、全力で反発しているのか。それはない。諦念とともに受け入れているのか。それもない。波打つようないらだたしさしかない。

 救いを求めているなら簡単だ。励ませばよい。能力的には何の問題もない。逃げ出そうとしているのなら、叱ればよい。君の進むべき道はそちらではないことを諭せばいい。無自覚に他者に依存するほど弱くはない。その子なりの努力はしている。だから逃げているわけではない。抗いつつも自分に確信がもてないため、不安に苛まされている。

 もし、今やっていることに確信があり、数か月後にやってくる入試の時に、確実に結果が保証されているならば、不安の虜になることもなく、泰然自若として日々の営みに邁進できるだろう。

 もちろん、一片の不安も感じないなら、すでに人ではない。仙人だ。明鏡止水の境地は容易く訪れるものではない。「人事を尽くして天命を待つ」とは、ごく少数の人生の達人に許された言葉であって、大多数の人間は、不安に懊悩し、情緒不安定に陥り、非合理的な行動に走りかねない。そこを踏みとどまる知恵をもっているかどうか、あたたかく周囲の者がガードできるかどうか、それが結果を左右する。

 しかし、決定的要因は「本人の本気度」である。迷わず、一直線に目標に向かってつきすすむ「本気」こそ、残り数か月で受験生が試されるコアである。

 時に「本気」は、わがままに通じる。なぜなら、他人にかまっていられなくなるからだ。物事を先鋭化させていけば、不寛容にならざるを得ない。はなはだ見苦しいありさまを露呈しかねない。日本的美徳ー感情をむき出すことなく慎み深く穏やかに事をなすありようを尊ぶ心性ーとは相いれない。まして、自我も十分に発達していない未熟な子たちがあからさまにそのような態度を日常的に示せば、ふつうの市民社会では排斥されかねない。

 それはいい、すでに個人で解決できる問題ではない。派生的に生じる、副次的な問題だ。一過性の摩擦や孤立は捨て置けばすむ。いずれ誰の記憶にも残らない。人はそれほど他人への関心を持続できない。

 「本気」を問う。

 結果をもとめているのであれば、「本気」を求める。経験を求め、興味・関心をもてあそびたいなら、「本気」は野暮だ。重たすぎる。

 君、そういうことだ。だから、「本気」でやろう。

 君たちになしとげられないことなどない。

 たかが受験だ。こわがることなど、何もない。正解の存在する世界だ。

 君たちが本当に怖がらなければならないのは、正解のない世界で生きていくための知恵をみにつけられるかどうか、ということだ。それはずっと先の話だ。

 しかし、いずれ来る。それまでに、正しい認識力を身につけ、適切な判断力を養い、合理的な行動を思いやりをもっておこなう術を獲得するのだ。

 すべては、そのためのトレーニングにすぎない。

 だから、もう一度言う。

 「本気」でやろうぜ。

なんだか暑い毎日

小6

 久しぶりにN進法と推理と試行の復習。くるくるまわる時計が6進法とわかれば簡単な問題を、「これは何進法か」という発想もなく、素朴に6つ進むとひとつ繰り上がってと考える子らが愛おしい。いいんだけどさ、前に学習したことを何も生かしていないんじゃないですか、と問いたい。

 推理と試行の設問、粘り強く考え抜く持続力が試されて、クラスの過半が正解に到達。この2年でずいぶん成長した。「僕が6年生の時より、君らのほうが30倍はえらい」と言うと、一斉に「イェーイ!」と歓声。本当に素直な子たちだ。

 理科は化学反応。分解と化合。

「酸素はどうしようもない浮気者で、銅と仲良くくっついていたら幸せだったのに、炭素がやってくると、『あらぁ、炭素のほうがいいわぁ』って銅を捨てて、炭素とくっついちゃうんだ。これを銅が還元されたといいます。銅は酸素に捨てられたわけ。もちろん、炭素は酸素とくっついちゃうから、酸化されたわけ。たぶん銅は「なぜだ」とか嘆き悲しんでるはず、、、、いやいや、「せいせいした」って喜んでるかもね」という与太話をすると、毎年決まって、男の子たちより女の子たちのほうに受ける。

 塾屋的観点からすれば、ここの単元のテストをして女子のほうがスコアがいいとは限らないので、与太話の域を出ない。それでも毎年使うのは、元素記号を使って化学反応式をばんばん書いて説明をすすめていると、何かね、清涼剤が必要になるわけです。

 中学中級

 まだ一次関数をやっている。しつこく、性懲りもなく。いや、どれだけ徹底的にやってもいいとさえ思う。中3、高1、高2、高3と拡張を続ける「関数」の世界くを思えばとことんやっていい。

 高校上級

 きょうは二人だけだったので、名古屋大学と神戸大学の英作文演習。模範解答と村上も含めて三人の答案を見比べながら、添削。2月25日までに、いや、11月のオープン模試までに、何とかスコアを稼げる力を養成したい。

 得点云々ができるレベルではなかったけれど、2回目にしてはよかったね。構文がきっちり決まっていたので、あとは、お決まりのチェックポイントをいかにおさえるか、です。

体育の日

小5

 漢字テスト、例によって、準2級チャレンジャーの子たちはよく健闘、3級の子たちも悪くない、4級の子もまぁまぁ。問題は5級チャレンジャーズ。最も平易な級の子たちが、最もよく不合格になる。漢字を覚える習慣がないのだろう。一定時間集中して、漢字テキストを使って反復練習する行動パターンが確立していない。

 ちょっとした習慣化、でも彼らが身につけるには相当の覚悟がいる取り組み、そのずれを埋めるのが塾。たぶん、そういうことだ。

中学上級

 英検受験者の自己採点はいろいろ。まだ全容は不明。

 数学、相似な図形をやった。夏前に、基本はざっと終わっているので、きょうは標準から応用。気づけば簡単、気づかないと堂々巡り、の問題で、村上が一問しくじった。なんてこった。とんだ赤っ恥。謙虚に取り組め、という神の声が聞こえた。

高校初級

 きょうのメインテーマは、分詞構文。さらさらと進んだ。来週まで忘れずにいてくれたらいいのだが、何か工夫をしてもらいたい。

 

 塾のIT環境がひとつ改善、OUTLOOKのアドレス帳の移行ができた。

 すこしずつ状況は改善されている。

 明日当たり、ドーンと前進してみよう。

 

カツカレー

 全米オープン勝利後の大坂なおみさんのインタビュー(日本で食べたいもの)に触発されて、「僕のカツカレー」を思い出した。

 18歳、現役大学受験生の時のこと。早稲田大学を受験する際、高田馬場駅の地下で生まれて初めて食べた。「こんなうまい食い物が東京にはあるのか」そう思った。41年前の話だ。大学の下見をしたあとだった。人ごみに疲れていた。明日は入試ということで不安だった。そんなもやもやを吹き飛ばす衝撃的な味だった。たぶん、今食べたら胸やけを起こすだろう。しかし、その時は、とんかつの分厚い白身が妙に甘く感じられ、カレーのどぎつい辛さとうまく調和していたような、、、

 いや、記憶はあてにならない。時折ふと思い出すたび、美化されていくのだろう、すべからく青春の思い出なんてそんなものだ。感傷に彩られ、都合よく改変され、リボンを掛けられ、ギフトボックスに丁寧にしまわれる。時々取り出してノスタルジーに浸る。

 やれやれ。

 日曜日(昨日のことだ)は、英検を実施しつつ、平常授業も小6の過去問演習もやるというトリプル・ディールだった。アシスタントのN嬢が、類まれなる事務処理能力を発揮してくれて、プラン通りに進んだ。冷静・沈着・的確な判断力に恵まれた人が後方支援にまわってくれると、思い通りにことが運ぶ。ひとり二役はできないことをあらためて痛感した。

 さて、自己採点は今晩から。

 期待したい。

金木犀の季節

緑町公園を散歩していたら、金木犀が香った。

早起きしたご褒美だと思った。

ただ、毎年紅葉をたのしみにしていた木が、きれいさっぱり枝を刈り込まれ、ほぼつるっぱげ。

樹木のシルエットといい、色づきといい、それは見ごたえのある木だっただけに、紅葉前にすっきりぽんになって、少し残念な気がした。

 

小4

 先週、国語の文章ででてきた「天敵」を辞書で読み比べていて、蛇とカエルが話題になった。そこまではいい。よくある話だ。ひとりの少年が、実際に家で飼っているカマキリがカエルを食った、という話をした。ふむ、なるほど、そんなこともあるかしらん、とwebで検索すると、あるわあるわ、オオカマキリがカエルを捕食する動画が次々出てくる。「ギョエー」と叫びつつ、みんなで見た。きょうは、天気の話、海風、陸風、凪から、なぜか、タガメの話になって、タガメとマムシの対決をまたwebでみることになった。身の毛もよだつ映像で、NHKの番組作りのうまさに舌を巻いた。つくりものではない、ほんものの自然がどれほど劇的か、見事に活写していた。塾屋がいっちゃいけないセリフかもしれないが、「つまらない問題演習をするよりも、圧倒的におもしろかった」

小6

きょうは色分けの問題。順列の応用だ。反応は悪くなかった。ところが、計算練習がよくなかった。ふたりだけ残して特訓をした。守るべきルールを愚直に順守すれば、おのずから正解がでることを二回繰り返して教えると、正常状態に復帰した。本音のところでは、まだ怪しいが、きょうのところは良しとしよう。もっと丁寧にやれよ、それだけだ。

中学初級

英検対策。4級は初級のこの子たちには、ちょっとしんどいかも。やるだけやってダメなら、また、根本的に立て直そう。まず、チャレンジャーであることが大切。たかが英検、やり倒してしまえ。

高校中級英語

関係代名詞の応用。中学レベルの文例ならそこそこ直感的に訳せても、レベルがあがるとそうはいかない。構文絶対主義を標榜するつもりはさらさらないけれど、あやふやな直感でなんとかしのごうとする姿勢が気に入らない。もっと英文と格闘してこい、というまえに、もっと基本レベルの英文を多読する必要がある。いずれにしても学習時間が短すぎる。もっとどん欲に英文と戯れなさい。

 

午前零時はとっくにまわった。

土曜日中にアップするつもりだったのに、書きすぎた。

まだ、感覚がつかめない。

いや、そんなことはどうでもいい。

 

サンフレッチェ、どうして負けたんだ!