以下は、昨日の予定稿、いろいろあって見送ったもの

 *日曜の朝、
 ぼーっとした頭で見るのにちょうどいい番組がある。「がっちりマンデー」TBS。
時として、経済情報番組というよりは、大企業のPR番組になりかねない時もあるけれど、視聴者の好奇心をそそる薀蓄がつまっていて、観ていて飽きない。
 プロジェクトXのように、愛と涙の感動巨編に強引にしたてあげることは最初から考えていない。「儲かる商売はどこからうまれるか」、まるでNHK教育の児童向け番組のような構成で解説する。関西系のお笑い芸人がやると確実に品のない話になるであろう話題も、司会の加藤君がさわやかに、「へぇー、すごいな、そりゃ儲かりますよ」と屈託なく笑い飛ばすことで浄化されてしまう。シロウトっぽさを全面に出す、エンタメ・カルチャー路線が、いかにもTBSらしくていい。
 娘が学校の現代社会の授業で、その番組のDVDをみた、と聞いたときは、「ほぅー、やるなぁ」と素朴に思った。この日本の現実を、肯定的に受け入れて、積極的に社会参加するとっかかりを、企業社会にもとめるなら、実に有益な情報が詰まっている番組であろう。大学生の就職活動のための情報番組としてはチープな番組でも、この社会の現実を何も知らないに等しい高校一年生にはちょうどよい。
 もちろん 格差社会とワーキングプアが深刻な問題になっているときに、そんな経団連がよろこびそうな、資本主義社会に対して無批判で、企業論理に身を寄せた内容の番組を授業中にみせるなどけしからん、と言いたい人もいるだろう。もっともな点もある。しかし、その意見に僕は同意しない。
 単純に解決できない問題を、解決能力も何もない子どもらに、必要以上に考えさせたり、倫理的縛りを課して使命感を煽ったりすることの方がよっぽど子どもらの成長には有害であろう。
 戦争の惨禍にいまだに苦しむ人々の多いある都市の市長が、あるとき修学旅行でおとずれた中学生たちにむかって、「核兵器のない国際社会にするために、中学生にもできることがある」とお話をされ、それを聞いた子どもらが素直に、まじめに、「自分たちにできること」を考えていると伝える報道に接したことがあった。
 現代社会において、核廃絶にむけて子どもらに期待できる実効性のある政治的行動は何もない。宗教的行為ならあるかもしれない、子どもらの祈りの言葉が有効なメッセージになることはあるだろう。しかし、それはある限定された祝祭的な場においてであって、日常的に子どもらにできることは何もない。何もないからこそ、まず、基礎学力を身につけ、複雑な問題を単純化しない判断力を磨くよう導いてやるべきだ。行動するのは、成熟した判断力を身につけたあとでよい。行動の結果に責任をとれるようになってから行動しても遅くない。だから、くだんの市長の発言意図が直接行動に傾きすぎる危うい発言であったと僕は考える。そして、塾の近辺の学校で行われている平和学習がそうした短絡的なものでないことを願いたい。毎年夏になると、その思いが強くなる。
 日曜の朝、ぼーっと眺めるにはちょうどいいなぁ、と思っていた番組が高校一年生にむいている、というのもおかしな話だけれど、まぁ早起きのきっかけにはなる。小・中学生がみてもオモシロイって思うと思うよ。