新中1クラスも本格始動

午後10時をまわっても、旧中3(この時期、新旧入り乱れて呼称に困る)は、広島県公立高校の数学定番問題、確率と1次関数の融合問題の演習にはまっていた。たぶん、時間さえあれば冷静に数え切れるのだろうけれど、制限時間を短く切っているにもかかわらず、おぼつかなくシャーペンの先でひとつひとつ数えているひとりの生徒がいた、反射的に「バカヤロー、そんなトロいことやってて間に合うかぁ!」と怒鳴りたくなった。
10年前なら間違いなく机を蹴飛ばしていた。5年前なら机をバンとたたいていた。3年前なら確実に怒鳴っていた。でも、今年は、「まぁ、精一杯やってんだから」と思いつつ静かに眺めていた。生徒は決して塾屋の思い通りには動かない。あたりまえのことだ。
むき出しの感情を直接ぶつけて生徒が賢くなるのなら、いくらでもぶつけるけれど、試験まであと5日しかないときに、塾屋がそれをやっちゃぁおしまいだ。
新中1クラスの英語で、英文法のテストをしたら、きょうから参加の新人がそろって6点。まぁ、それはしかたない。ところが、2月からフルセットの授業を聴いてきたひとりの少年が3点。むっとした村上が「何やってんのぉ!」と言ったとたん、周囲の生徒たちから、にこやかに「教え方が悪いぃぃ♪」と合唱、逆撃にあった。苦笑するしかなかった。
まさに然り。単純きわまりないルールを演習しているときに、ほとんど何もできない生徒を生み出したら、それは教える側の責任であろう。これもあたりまえのことだ。
どこまでもあたりまえのことばかり、ゆえに凡事徹底。あたりまえのことをあたりまえにやっていけるようにする。
まさにグランドフィナーレを迎え、最終的な完成度を試されようとしているクラスと、やっと始まったばかりのクラスと、好対照な関係にありながら、課題が共通し、接点がきちんと示されていた。


明日、試験のNクン、最後の力を振り絞ってがんばるんだよ。