はい、28日です、授業再開です。

男子児童に「先生、休んでどうすん?」と尋ねられたのに「個人情報!秘密!」とか言ってはぐらかしていたので、ちゃんと報告。

ですから、報告に関心のない人に、この文章は無意味です。

塾の情報集めとか、子どもの塾の様子を知りたい、とか、LECに関する有益な情報は何もありません。(ここ最近、ホント、何も書いていないけれど)
あらかじめ、ご了承ください。

とにかく、21日から27日まで休みの間に何をしていたか、という報告です。


27日午後、無事に成田にもどってきた。

今回のお休みの報告は以下のとおり。

21日の午後の懇談が終わってから、妻と二人で新幹線で東京へ向かった。品川で成田エクスプレスに乗り換えて、その夜は、空港近くのホテルに宿泊した。品川ではお楽しみの「なだまん」の弁当を購入した、これ、お奨め。ヒルトン成田の朝食は悪くなかった。パイロットや客室乗務員がゾロゾロいて、空港近くの臨場感が面白かった。

22日のお昼のANA、パリ直行便。3人並びの席の通路側二つを予約して、窓側のひとつが空いていればいいなぁ、と思っていたら、ズバリもくろみ通りだった。運がよかった。疲れたら横になって寝ることもできた。エコノミークラスは席が狭くて、いつもビジネスクラスをねたましく横目で見ながら搭乗するのだけれど、こんなせこいマネをしなくてすむような旅行はいつできるのかしら。

機内では、日頃、映画を見る機会があまりないので、今回は見たかった映画をちょっと根性出して見続けた。
一本目は「裏切りのサーカス」、大好きなジョン・ル・カレ原作の「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」の映画化。期待通り渋くできあがっていた。原作を知らない奴は観なくていい、という割り切り感が横溢するプロットも好感がもてた。すこし、スマイリーがカッコよすぎだった。

二本目は「鉄の女 マーガレットサッチャー」。お気に入りのメルリ・ストリープがアカデミー女優賞をとった話題作だったけれど、ちょっと期待外れ。ポリティカル・クライシスを正面切って描けばいいものを、認知症に苦しむ晩年の姿と現役時代の思い出をクロスさせた重層構造にしてしまうから、ピンボケでだらだら進んでいた。いや、メルリ・ストリープの演技はすごいと思ったけれどね。で、ちょっと残念だった。

3本目は、松平健主演の東宝の「はやぶさ」。松竹の「はやぶさ」は妻を説得して映画館で観た。だから「はやぶさ」の映画は二本目で、私の「はやぶさ」好きを知る妻には露骨に笑われた。で、やっぱり「はやぶさ」にまつわるエピソードを丹念にひとつひとつ描いていく朴訥な感じが学校の生徒さん向けなんだけれど、「技術者の夢」とか「魂」とか出てくると、無条件に反応して涙が湧いて出てきた。結局描きたいのは科学技術の素晴らしさではなくて、集団の義理・人情というところが、こうした邦画の正しいあり方で、それはそれとして正しく描かれているので、よいのだろうと思った。

時差のおかげで現地到着は夕方。シャンゼリゼ通りのホテルに荷物を預けて、凱旋門までブラブラ行ったら、ラッキー! 行列が短かったので5年前には断念した登頂を今回は実行。夏至ということもあって、夜9時でも明るい市街が一望できて、ふたりして大喜びであった。日暮れたシャンゼリゼ通りを歩くと、香水の渦。どうしてみんなこんなに香水をつける必要があるの、と思うくらい。中国系の観光客が大勢目立った。

23日、ホテルで朝食をすませ、タクシーで一路サンジェルマンデュプレに出撃。ボン・マルシェ(百貨店)で、おやつにカヌレを立ち食いしたあといろいろお買い物。と言っても、私は、塾の生徒の学力テスト成績優秀者用にひたすら文具を購入するだけだった。(一年分は買ったかな)。日本でもそうなのだけれど、知らない街のデパートで食料品売り場をウロウロするのが妻も私も大好き。今回も「へぇー」「ほぉー」とか言いながら、フランスの庶民の食文化を目で見て楽しんだ。食べなきゃわからんことは、それこそたくさんあるのだろうとは思う。まぁ、ね、そのうち片っ端から食ってやるさ。人生は長い。今回は見るだけ。

ボン・マルシェでは手に入らなかった現地仕様のヘア・ドライヤーを手に入れようと、妻は現地のおばさんたちとフランス語で格闘。どうやら「モノプリ」というデパートへ行け、ということらしい。途中のファーマシーでも確認しながら歩いてくと、すんなり見つけられた。妻はフランス語で道を尋ねて、行きたい場所に来れたことに感動していた。地図を見せれば、簡単にわかるだろうに、と思いつつ、いやいや、ここで言葉だけで勝負するから語学は上達するんだ、と敢えて離れて見ていたから、「うん、うん、その気分はよくわかる」。大人が語学を習う喜びって有用性が確認できたときだもんなぁ。地図なんか使っちゃ喜びは減るだけさ。

サンジェルマン・デュ・プレの教会に立ち寄った。パリ最古の教会だってさ、創建は11世紀、今あるのはそのあとに色々つぎはぎされてるらしい。なんだか古風な感じよかった。荘厳さがいつもいいわけじゃない。

教会のある交差点の真向いのカフェに入った。今回、第一号のカフェは、「ドゥ・マゴ」。混んでいるのに、妻は平気、強気でお姉さんを呼び止めて、外に二人分の席を確保。テラスで青空を眺めながら、お茶をしていると、乗ってきた妻は店のお姉さんをまた呼び止めて「ガトウ、シルブプレ」。さっそくやってきたお盆からエクレアとショコラをひとつずつチョイス。ご相伴にあずかりました。いや、うまかった。隣のテーブルとそのまた隣では、地元の人たちがテーブルの上にパンの切れ端を並べている。なんだろうなぁ、と思っていたら、どこからともなくスズメがやってきて、チョンチョンついばんでいるじゃないの。へぇー、おしゃれー、と感動した。いや、本当は、そのカフェの歴史的・文化的な背景に感動しながらお茶をするべきだったのだろう、サルトルがどうしたとか、ヘミングウェイもここにはよく来てね、とか、しかし、まぁ、そんなことはどうでもよかった。テーブルをちょんちょん歩くスズメとそれを優しく見ている、男女や男男のアベックたちの優しいまなざしが印象的だったし、コーヒーもスィーツもおいしい、だから言うことなし。

そのうち、5年前に来たとき、立ち寄った「オドラント」(花屋、花の雑誌にはよく出るらしい。5年前は、妻はこの店で自分のイメージでブーケを作ってもらうことが、パリ来訪の重要な目的だった)はこのあたりだったよねぇ、と言っていたら、あるじゃないの。休店日で残念だったけれど、あの時はタクシーの運転手さんに雑誌を見せて、ここへ行ってくれって直接来てたから、今回とは街のイメージとかやっぱりぜんぜん違っていて、「歩かなきゃわらんもんだねぇ」って苦笑した。

リュクサンブール公園へ行こうかってことになって、ぽくぽく歩いていると、モンマルトルの丘みたいに、噴水のある広場にテント張りで何やら芸術家たちが作品の展示即売をやっている。ひとつひとつ見て回ったけれど、例によって「よーわからん」。ホント、こういうものって、オモロイかオモロクナイのどちらかしかない。結構オモロイものもあったけれど、あれで食っていけるかっつうと難しいんじゃないの。
馬鹿でかい教会があったので入ったら、サン・シュルピス教会だった。ドラクロワの壁画が有名なんだけれど、薄暗いし、煤で汚れてるし、ありがたみがゼロ。宗教画ってそもそもよくわからんし、、、とか言いつつ、結婚式のセレモニーが始まるようで、着飾った子どもらがちょっとおめかしした夫婦(推定30代)に連れられて、何組もやってくるから、生活の場としての教会なんだよなぁ、とか色々考えた。もうちょっといたら、かの有名なパイプオルガンでメンデルスゾーンの「結婚行進曲」生演奏が聴けたかもしれない、とか思うと、うぅむ残念であったよぉ。いや、「ダ・ヴィンチ・コード」で有名になって観光客がどっと来るようになったとか、ナポレオンが、ブリュメール18日のクーデタの前に集会を開いた場所だとか、パリで二番目に大きい教会だとか、何にも知らずに立ち寄ったことは残念に思わない。パイプオルガンだけは、ちょっと心残り。まっいいさ、また機会があるだろう。

教会から南へ移動すると、小さなMUSE(リュクサンブール美術館)があって、CIMA(チーマ)展をやっていた。私は気が進まなかったけれど、妻がどんどん入っていく、まぁ、これも勢い、と思って「君についていこう」という気分で入った。ルネサンス後期の人ってぐらいしかわからんし、「聖家族」風の絵を妻はたいへん気にいってんだけれど、それは母親の母性が共感するのであってオヤジはさっぱりであった。
イタリア以外で初の展覧会ってことで、パリ市内では結構ポスターを見かけたせいか、妻は英語のガイドレコーダーを借りて、私に、絵の前で日本語で説明しろ、とのたまった。とんでもない、そんなこといちいちできるかってことで、これはさっさと出るに越したことはない、と史上最速で出た。おかげで、英語の解説を聴き取れない、理解できないことは馬鹿にされずにすんだ。

美術館をぐるっと回ると、突然、超巨大な庭園があって、人がいるわいるわ、「ベルサイユ並じゃん、何、これ、すげぇー」、なんかすごーく手入れされてることがよーくわかる。ぽくぽく散策しても、広すぎて向こうまで行く気もしない。くるっと回ってとりあえず出た。で、作戦をたてなおそう、ということになって、近くのカフェに入った。無名のカフェなんだけれど、のどが渇いていたせいか、コーヒーが無茶苦茶おいしかった。朝食で二杯、ドゥ・マゴで一杯飲んでいたから、三杯目だったのにそれでもうまい。単純に感動してしまった。

どうやら、妻は、モンパルナスへ行きたいらしい。それから、どうしても行ってみたい文房具屋があるらしい。へいへい、ではメトロに乗って、ここで乗り換えて、こうすれば行けますが、と提案したら、承認された。

途中、オデオン座があった。映画館の名前でよく見かけるけれど、オリジナルはこれだったのね、という感想。その先、地下鉄の駅まで行く途中に、ごくふつうの雑貨屋があって、ごくふつうのオッチャンが店番をしていた。「こういう店をのぞきたいのよ」と妻がおっしゃるので、「君についていこう」ということになった。東京の自由が丘あたりなら、いくらでもありそうなお店だと思ったけれど、妻はふんふん言いながら、小物を買っていた。

交差点までくると、丘の上にパンテオンがくっきり。ありゃまぁ、フーコーの振り子のパンテオンやんか、ってことで、承認された計画にはなかったのに、突然方針変更で丘を登っていくことになった。途中、ふりかえると、ありゃ、まぁ、エッフェル塔じゃないの、へぇー、とか言いながら、結構、丘を登った。小説の「フーコーの振り子」は挫折したよなぁ、と、いやな予感がした。パンテオン前の広場の人の動きが明らかにさびしい。門の近くまで行くとやっっぱり。入場は6:30まで。時刻は6:35。幾人かの人が食い下がっているけれど、ダメなものはダメ、ということになっているようだ。

しょうがないから、広場でタクシーを拾って、雑誌に紹介されている記事を見せて、カルチェ・ラ・タンの文房具屋に行った。すると、妻がお目当てのボールペンは売り切れていた。やれやれ。日本から来たひとたちが買い占めていったのね、いや、それは推測ですけれど。その店には、明らかに日本から直輸入した商品も置かれていて、日本の経済産業省が推進しているクール・ジャパン計画は功を奏しているではないの、と、意味もなく感心した。「カワイイ」はそのうちフランス語の辞典に載るな。

店を出て最寄りのメトロの駅まで歩いた。地下鉄は初体験だった。パリ市内は均一料金(ひとり1.7ユーロ、日本円で180円ぐらい)だから、乗り換える駅と番線さえしくじらなければ、ぜんぜん平気、と思っていた。その怖さをまだ知らなかった。まぁ、その時は、たいした問題もなく、モンパルナスの一駅前で降りて、行きたかったカフェ「ル・セレクト」に着いた。ピカソがきていたとか、ゴダールの映画の舞台になったとか、薀蓄はいろいろあったけれど、とにかく、私はクラブサンドイッチとフレンチビールでご満悦であった。

近くに、もう一軒、「ル・ドーム」という有名なカフェがあった。そこは写真だけ。で、メトロに乗った。コンコルド駅で乗り換えて、シャンゼリゼのホテルまで帰って来た。悲劇はその乗り換え駅で起きた。

転落防止用の柵がホームにあり、電車に乗降する時には自動的にそのドアが開いたりしまったりする。乗り換え用の電車に私が発車寸前に乗ったため、遅れて来ていた妻は見事にドアに挟まれた。電車は、私だけを載せて無情にも出発進行してしまった。ひとりホームに残された妻は、近くのご婦人に抱きかかえられながら、私を呼んでいる。あわてて成田空港で借りたフランス仕様の携帯を取り出してコールしたがつながらない。二度試したがダメ。途方に暮れた。
次の駅で降りて、どうしようと思っていたら、神の恩恵、携帯が鳴り、妻が出た。手順をうちあわせて落ち合う段取りを決めた。レディファーストを守らなかった私のミスであった。妻を抱きかかえてくれた婦人は、「大丈夫よ、すぐに次の電車が来るから、それでご主人を追いかけなさい」と優しく慰めてくれたそうだ。ドアに挟まれて死にそうになった妻が、死ぬほど私を怒ったのは無理もない。名も知らなぬパリのご婦人にあらためて感謝。

24日は朝からどんよりと曇りであった。朝食は、シャンゼリゼの有名なカフェ「フーケット」にしよう、ということになった。ところが、外は寒い。道行く人は、コートやパーカーは当たり前、三月並の格好だ。さすがに、テラスで食事という気分ではなかったので、屋内に入った。モーニングセットを頼んだ。超有名店で妻のお楽しみのひとつであったけれど、結果は、はずれ。愛想は悪いし、コーヒーはまずいし、寒いし、、、早々に出た。途中、近くのお店で、妻はちょっとしゃれたカーディガンを購入した。「寒いでしょ、これが、パリの夏なのよ」とかなり年季の入った女性がおしゃべりしながら、相手をしてくれる。早速着込んで店から出ようとすると、電子音が店中に鳴り渡る。入口のガードマンに止められて、チェックを受ける。領収書をみせるけれど納得しない。カバンを開けろ、という。妻は憤慨するけれど、ここはしかたない。開けてみせる。もちろん、何も出てこない。よく見れば、カーディガンにまだプラスチックの電子タグが付いている。なんだよぉ、ってことで、外して一件落着。店員が恭しく着せてくれたので、妻のご立腹もちょっと直る。ふむ、おしゃべりな店員には気をつけよう。

昼前にチェックアウトして、二件目のホテル、コンコルド広場のホテル・クリヨンに移動した。12時前のアーリーチェックインになったけれど、柔軟に対応してくれた。しかも、部屋のアップグレードがあった。通された部屋は、エグゼクティブクラス。さすが、国際連盟発足の会議が開かれた場所だけあるぜ、という感じで、宮殿風全権大使御用達部屋であった。大喜びする妻を横目に、王族ではない庶民の私は、「革命がおきるはずだよ」と思うところもあった。とにかく、豪華絢爛なホテルであった。

雨の中、傘をさして出撃。グランパレに行くと、ヘルムート・ニュートンの写真展をやっていた。なんとなく流れで入ったら、「出よ、気持ち悪い、何、この写真、エロい、グロい」と妻のお怒りを買った。そうね、権力に対する怒り、規制の秩序を疑ってかかる姿勢は鋭く強く伝わってくるけれど、ムンクの「叫び」と同じような頽廃を感じてしまうね、と同意して出た。

さらに降る雨の中、セーヌ河をアレクサンドル三世橋で渡り、きょうの主目標であるオルセー美術館を目指す。河川沿いの道をぽくぽく歩く。桟橋の駐車場に停めてあるシトロエン2CVが妙に美しくて写真をとった。オルセー美術館は、入場者の行列が長くのびていた。

もっと降る雨の中、1時間近く並んだ。2階のゴッホとゴーギャンがよかった。ゴッホの自画像が明るく笑いかけてきた。これまで、ゴーギャンは一度もいいと思ったことがなかったのに、オルセーでは、「パラダイスで仕事してしあわせだよぉ」という温かい気持ちが伝わってきて、「いいなぁ」と初めて思った。悲劇は、そこから始まった。

館内放送だ。日本語の放送もある、なんと5:30に閉まる、という。時計を見ると、あと10分しかない。「なんてこった、それはないだろう」と思って、超早歩き、5階の印象派を目指す。妻は、美術館がかつて駅舎であった当時の時計台の写真を裏から撮りたいらしい。私は、そんなものどうでもよい。ミレーの「日傘の女性」を見逃したら、悔やんでも悔やみきれない。妻をほっておいて、先を急ぐ。すると、時間がないというのに、妻は「また、レディ・ファーストを忘れてる」と怒る。弱みはこっちにあるので謝る。しかし、そうしているうちにも時間は刻々と過ぎる。5階はなんとかなっても、1階のバルビゾン派はあきらめるしかない、とかなんとか、まぁ、駆け抜けるように見て回った。いいんですけど、どうせ、時間があっても、似たような見方しかできなかっただろうから。まっ、いつか、また行ってやる。

なんと、もっと強く降る雨の中、美術館近くで買ったポンチョを着て、またふたりしてとぼとぼ歩いてコンコルド広場まで戻ることになった。今度は、セーヌ河を「恋人たちの橋」で渡った。橋の欄干にびっしり真鍮の鍵がとめられている。アベックが「別れないようにってかけるんですって、晴れたらね、鍵屋さんが鍵を売る店を出すそうよ」「へぇー」と驚いた。「どうすんだろ、一年にいっぺんぐらい全部取っちゃうのかなぁ、そうしないと、永久にこれじぁ、カギをかける場所がなくなっちゃうじゃない」と、つまらないことを考えてしまう私であった。

雨で元気を吸いとられ、ホテルに帰宅。

25日 再び晴天に戻った。ホテルをヴァンドーム広場のリッツに移動した。部屋が準備できるまでの時間、中庭でお茶をしよう、ということになった。どうやらバーを抜けていくらしい。バーテンダーにきくと、英語が通じない。困ったものの、さすがリッツだ、と妙に感心した。中庭担当のマドモアゼルが現れたので、やれやれこれで助かったと思って、お茶をしたいんだけどって頼んだら、ここはホテルに宿泊する方々の予約でいっぱいです、と暗に拒否される。ふーん、こっちは部屋が準備できるのをまっているんですけどぉ、と事情を説明すると、そういうことでしたら、とテーブルをひとつ用意してくれた。このへんのお互いの立場を擦り合わせていく、びりびりする感覚が外国旅行のおもしろさ、という気がする。おいしいコーヒーが出てきたし、添えられていたスィーツも最高であったし、雰囲気もすこぶるよかった。

部屋の準備ができて、預けていた荷物もとどいたので、オペラ座までプラプラ歩いていった。やっぱり5年前にパック旅行でやってきた時の記憶とは微妙に雰囲気が違う。クリヨンで清算する時、きょうお帰りですか、と型どおり尋ねられたので、型どおり、あと一日宿泊します、と応えたら、one more walking day ですね、と、ニヤッと笑う。まさに、そのとおりで、ひたすら歩く一日となった。オペラ座の近くには、ギャラリー・ラファイエットという百貨店がある。吹き抜けのまるいドームをもつ建物だ。似たような建物にいくつか入るけれど、どうも違う。どこもかしこもバーゲン・セールで、有名なブランドショップは、人数制限をしているため、行列ができている。中国系の団体旅行客さんが圧倒的な存在感を示している。すごい人だかりでムンムンする。

結局、最初の建物が目指していた場所だった。あれこれ見物しながら、8階まで上がっていくと、庶民的なレストランがいくつかある。妻は、パリのお寿司ってどんなのかしら、と言う。パリまで来てどうしてお寿司なの、絶対にまがいものしか出ないって、と個人的な見解と、私は嫌だという意思表示はしたけれど、妻の関心は高まる一方で、とどのつまり、「君について行こう」ということになった。

お寿司は極めてまっとうなものだった。キリンの一番搾りも含めて、すこぶる純正の「寿司」がでてきた。妻は勝ち誇り、私は不明を恥じ、妻はいっそう元気になり、私はビールがうまかったからいいや、と開き直った。アラブ系の人々や、ヨーロッパ系の人々や、明らかにアメリカ人観光客と思われる人々がふつうに寿司を食べている姿を見ながら、「頑張れ日本食!」と変な応援をする妻に、私もなぜか心から共感した。
外国で頑張っている日本人や日本製品(?)や日本食(?)をみると、ついつい応援したくなる。ホテルの部屋には、サムスンではなくてTOSHIBAのTVがあるとよろこんでしまうし、ショップのラップトップパソコン(今回、空港であれホテルであれ、ノートパソコンという言葉は一回も耳にしなかった)だって、アップルではなくてTOSHIBAだったら、心がほくほくする。アニメの「サザエさん」が大嫌いで、日本国内では東芝製品は滅多に買わないけれど、パリで東芝製品をみると応援したくなる。ヒュンダイの車が走っているとなぜかさびしくなり、TOYOTAや日産のエンブレムをつけた車を見ると喜ぶし、マツダのデミオを見かけたら、もう感涙ものだ。ふだん日本人であることを誇りに思うことはあまりないのに、どうして海外に出ると妙に反応するのか、前から不思議な気がするけれど、それが、アイデンティティーの属性なのかもしれない。

ラファイエットの屋上に出ると、エッフェル塔から凱旋門、ルーブルまでよく見えた。再び地上に舞い戻り、ヘアードライヤー・クエストの再開だ。23日にモノプリで買った商品は、役に立たない電気ごてであることが判明して、ブロウしながらカールもできるものを探す。「フランス人は使わないのかしら」と妻がこぼすので、「そんなことはない、あるところにはあるさ」と励ましつつ、お店の人たちにきく、ムッシュウもマダァムもマドモアゼルも、妻のフランス語に丁寧に耳を傾けてくれる。応対は悪くない、しかし、正確な情報が入って来ない。どうやら、ラファイエットでもメゾンの方へ行け、ということらしい。これじゃないの、という建物に入ると、ありゃまぁ5年前に買い物をしたことのある場所だった。当時は、ラファイエットがふたつあるなんて知らなかった。どの店の入り口にも必ずいるサングラスをかけ、ハンディトーキーを腰につけ、背広姿で客の出入りを監視する保安要員のムシュウに確かめると、地下へ行けばある、と仰る。エスカレーターで降りると、電化製品売り場に到着。やれやれ、これならOKでしょ、と思ったら、ピンポーン、ありました。感慨ひとしお、これでもうパリでヘアードライヤーで悩むことはない。今後、この問題は必ずここで解決できることが判明して、妻は5年越しの懸案事項を処理した解放感に浸っている。だってたいへんだったものね、昨日も一昨日も。
オペラ座近くにはユニクロもあった。例によって、頑張れー、という気分になったものの、ちょっと厳しいかなぁ、という雰囲気は感じた。パリ自体があきらかに高級ブランドショップに群がる外国人観光客でなりたっているところだから、ユニクロの9.9ユーロの価格戦略がヒットするとは思えなかった。「ユニクロは各国の銀座に橋頭堡を築く」ということなら納得はできる。フランス国内の旗艦店としての存在価値はまちがいなくあるのだろうから。
交差点近くのカフェに入ってお茶をしつつ、流れていく車や通り過ぎる人々を眺めながら、ボーっと時間を過ごす。統計をとったわけではないけれど、アジア系の観光客のうち日本人は四分の一ぐらいかしら。とにかく中国系の方々が多い。
ひとまずホテルに戻って態勢をたてなおすことにした。部屋にもどって顔を洗っていると、「あれぇ、アメニティに歯ブラシと髭剃りがないじゃない。変だなぁ」、と思ってコンシェルジェに電話した。向こうのミスだろうと思っていた。しかし、違った。すぐに持って来てくれたものは、なんとリッツカラーのブルーと金色で仕上げられていて、ねじで二つに分解された箱入りの歯ブラシと髭剃りだった。これは使い捨ての日用品ではない、すでに工芸品だろう、と、怪訝な顔つきで説明を求めると、持って来てくれたメイドさんが「これが剃刀、ここのカーブがきれいでしょ、私、気にいってるの。これはホテルのギフトですから」とにこやかに語る。うーん、ちょっと感動。
工事中のヴァンドーム広場から今度は東の方を目指した。すでに夜9時をまわるというのに、空は明るく、どのカフェもいっぱいの人、人、人。東京駅前の新丸ビルの飲食街でもりあがっている人たちをイメージした。ふーん、と思いながら散策していると、見覚えのある街並みに出くわした。娘が中学を卒業した春休みに、確かに家族3人でエスカルゴに挑戦したカフェだ。あいかわらず流行っている。
セーヌ河沿いに遊園地ができていてので、そっちへ向けて移動した。観覧車や絶叫マシーンがキラキライルミネーションを輝かせながらまわている。妻も私もその手の乗り物は苦手なので、遊園地を通り抜け、公園をよこぎり、ルーブルの入り口の方へと向かう。外から見たってしょうがないじゃん、という私の意見はあっさり無視され、5年前にはここでタクシーをつかまえた、とか、5年前には「ダ・ヴィンチ・コード」をまねて、あのガラスのピラミッドのところで、、、と妻は追憶に浸っている。あの時は娘がいた。今、娘はワシントンD.C.だ。去来しているであろう娘への愛情を慮って「君について行こう」とビデオをまわす妻の後ろからついて行った。10時を過ぎてやっと街灯にあかりがつく。ルーブルを抜けて明るい通りでカフェに入った。にぎやかな店内で、エスカルゴを頼むと、うちはイタリアンだから置いてないよ、と明るくかわされる。ありゃまぁ。じゃあ、パスタだねってことになってボロネーゼとワインを頼んだ。パリでパスタはないだろう、という妻の反応は丁重に無視して、おいしくいただいた。突然、店内の明かりが暗くなり、あれぇ、突然、閉店するのかい、と思いきや、ハッピーバースデーの歌が始まり、店主が両手をふりふり指揮をとる、客はみんな手拍子、お店のまんなかあたりの若者たちが一気ににもりあがって、キーキーキャーキャー尋常ではない。どこの国もおなじだなぁ、と心温まる喧噪にどっぷりと浸った。
ほろ酔い気分でヴァンドーム広場にもどっていると、おやまぁゴディバのお店。ここには5年前に日本人の女性がいて、私たちが商品を買っていると、お試し品をいくつかサービスしてくれたことがあった。あたりは、午前零時近くになったはずなのに、人通りが絶えることがない。さすがに歩きつかれてホテルにもどった。

26日午後8時にANAに乗って、27日お昼過ぎに成田についた。

以上、報告終わり。