雷鳴ひとつ

中3B、授業終了5分前、16:45。
雷鳴が響いた。天気予報では、午後から大気が不安定になり、ところによっては雷雨もある、ということだった。

「自転車で来てる人は?」
6名ほど手を挙げる。男子ばかり。
「今、帰れば濡れずに帰れるな。どうするかな、ここで終わっちまおうか」

生徒は、みな期待に胸をふくらませて目をきらきら輝かせる。
まったく、こういうときだけヴィヴィッドな反応するんじゃねぇよ、と内心思いつつ、塾帰りに濡れる→家に帰って冷房にあたる→風邪をひく→これからの講習会を欠席する という最悪の展開が脳裏をかすめる。

「よし、ここまで。さっさと帰れ。今なら間に合う」
授業を強制終了した。喜びいさんで子どもらは一目散に帰宅する。

雨が降り始めたのは、17:03. 
時間通りに終了していてもひょっとしたら濡れずに帰ることができたかもしれない。過敏に反応しすぎた気もする。男の子が少々濡れて帰ったところで、それがどうした、それぐらい何だ、と突っぱねるのが今までのスタイルだったように思う。

ジジイになった分だけ、慎重になったのかもしれない。
ひょっとすると、成長したのかもしれない。こまかいところまで気配りができるようになったのかもしれない。
だったら喜ぶべきことだ。

いや、そうじゃない。たんなる気まぐれだ。

日々愚かな同じ失敗をどれだけ繰り返していることか、成長よりも堕落、成熟よりも老化がすすんでいることは、明確に自覚できる。
いまだに昨日と同じことはしたくない、何か新しいことに挑戦したい、と少年のように願っている。しかし、心のどこかで、古くて何が悪い、変わらないでいることは罪じゃない、と開き直っているのも確かだ。

雷鳴ひとつ、塾屋の気まぐれひとつ、講習会のひとコマ。

17:34。
雨はすっかりあがり、次の授業に自転車でやってきた少女は、アスファルトの駐車場に水たまりのあることすら気にかけていない。

こうして夏が終わってゆく。