LEC2013入試らぷそでぃ 高校編

 昨日、広島県の公立高校の合格発表があった。その顛末はTwitter上で逐次記述したので再録しない。すべての高校入試を終了したので、まとめることにしたい。

 

1月 私立高校

盈進高校(1/12入試)  5名受験 5名合格

 男子3名、女子1名が特進科、 女子1名が普通科。

 まったく何の心配もない子達ばかりで、普通科に合格した子も特進科でよかったのに、慎重にことを運んだらしい。相談は受けなかった、いちいち確認もしなかった村上のミスも重なった、というべきか。

 また、あくまで場馴れで受験した子たちは、合格しても入学金を納めなかった。「お金納めなくてよいですか」と尋ねられたら、「行く気がぜんぜんないなら、やめときな」と答えることにしている。「でも、もし公立で失敗したら」とダメ押しを迫られることもよくあるが、「大丈夫だから」と答えることにしている。

 「大丈夫」の根拠は、子どもによって違う。中学校の内申が圧倒的によいことが根拠になることもあれば、実力が群を抜いていて公立高校入試で失敗する可能性がゼロに近いことが根拠になることもある。

 中には「でも、失敗する確率はゼロではないですよね」と仰る保護者もいる。そのとおり、確率はゼロではない。当然、リスクは背負わなければならない。インフルエンザに罹患するおそれもある。それは道を歩いていて交通事故に遭遇するリスクを考えるのと同じである。不安心理の問題は個々人の主観で解決せざるをえないので、判断は預けることにしている。多くの場合、母親がどう感じるかで決まるようだ。

 

近大福山(1/15入試) 5名受験 5名合格

 男子4名、女子1名が合格した。合格したが、そこはかとなく挫折感が漂った子が3名ほどいた。思ったほど数学が解けなかったことが原因で、特待生をとれなかったことに悔しさを感じたようだった。贅沢な悩みか、いや、そうではない。広大附属福山を目指す子らにとって、それは達成すべき最初の目標であった。

 入学試験は過去問の演習通りにはいかないことを実体験したことはたいへんよいことだった。「そんなこともあるさ、いい勉強したじゃないか」と明るく受け流した。100戦して100勝することはできない、ということだと思う。大人にはわかるが、子どもはそうではない。彼らはみなじゅうぶん謙虚に反省していたので、とらわれることはない、と諭した。

 

岡山白陵(1/29入試) 5名受験 5名合格

 男子3名、女子2名が合格した。ひとりは専願だった。ひとりは、当初補欠だったがのちに2週間後に電話がかかってきた。受験した当日の感想は、「なんか難しかった」。毎年のことなので軽く受け流した。このあたりのやりとりもTwitter上で記述したので再録しない。のちにある合格者のお母様から、「岡山白陵に受かったことが、広大附属福山を受験するうえですごく自信になりました」とお聞きした。まさに、意図通りの展開だったので深く納得した

 過去LEC生で、岡山白陵に合格して(補欠合格を含む)、広大附属福山に失敗した生徒はいない。因果関係を客観的に立証できないので、まぁ、ジンクス以上のものではないけれど、入試現場で必要な気持ちの余裕を醸成するにはそれで十分であろう。岡山の山の中の何もないところまで受験しに行くのも、「わざわざ感」があってかえって達成感を高める?ような気もする。

 3教科入試で、附属の過去問演習のあいだにブレンドしていくと、いい感じの演習になるところが気に入っている。英語の長文にホラーが多いとか、数学の最後の立体図形の問題が時間内に完答するにはちょっと面倒だとか、色々癖はあるけれど、良問演習になる。合格最低点もはっきり明示されていて指導しやすいところもいい。数字のうえでは、広大附属福山と同じ難易度というのもいい。例によって、最終的に受験するかしないかは生徒任せで、みんなが受けているわけではない。

 

2月 公立高校選抜Ⅰ 広大附属福山

選抜Ⅰ

 大門高校普通科 1名受験1名合格

 市立福山高校  2名受験2名合格

 県立海田高校  1名受験1名合格

 大門を受験した子は、繊細すぎて自分に自信を持ちにくいタイプの子だった。受験するまでに不安を取り除くことができないまま、送り出してしまったことを今でも反省している。小論文(まあ作文だわな)が上手だったので、過去の事例からしていけるだろう、と村上は思っていた。本人は全くそんな気分ではなかったらしい。中学時代は数学を伸ばしきれなかったので、選抜Ⅰ合格後、すぐに高校数学の演習にはいった。

 市立福山を受験した子たちは、内申さえあればまちがいなく誠之館に合格できるであろうタイプの子たちだった。従来なら、誠之館がダメなら大門という選択になったかもしれないし、今でもその傾向は根強い。そもそも塾近辺の中学校の学区は、誠之館・大門なら20分未満で通学出来るけれど、市立福山になると電車通学か、自転車では50分ぐらいかかるはずだ。敢えて市立福山を選択するにはそれ相応の理由がなければならない。

 あくまで村上の個人的な印象なのだが、、、、、

 市立福山中から市立福山高校に内部進学する約生徒120名は、能力的には誠之館の同学年のほぼ上位50%と同等もしくはそれ以上である(適性検査で選抜されるまじめな小学生たちから類推)。ただし、中学3年間で部活に必要以上に熱中したり、あるいは中だるみしてしまって、その3割ほどが能力に相応する学力を身につけられない(これはどこの学校も同じ、市立に限ったことではない)。しかし、結果として80名前後の子たちは現役で国公立大学を狙えるし、トップ層10名の到達レベルは誠之館のトップ層と遜色ない(市立の受験指導態勢がこの4年で熟成してきたことはあきらかだ)。大門とは隔絶している。

 と、すれば、難関国立大学を目指して高校を選択するとき、大門よりも市立福山の方がベターなのではないか。規模が小さいだけ面倒みもよく、基本的な学習習慣を備え、目的意識も高い子たちが集まっている分、より切磋琢磨できる環境にあるのではないか。市立福山の卒業生(内部進学者)の保護者の抱く学校に対する満足度と、大門のそれとを比較した場合、市立福山側が圧勝するのではないか(あくまで村上の見聞する範囲内で、サンプル数は非常に少ないけれど)。

 ヨイショする気はない、どちらかといえば中高一貫校として開設された当初は批判的にみていた。村上の過去のブログを参照していただければあきらかだ。中高一貫の二期生、三期生、四期生とすすむにつれて好感度が増した、ということだ。この間、大門高校にめだった変化はない。それなりに熱心な指導が行われているけれど、「笛吹けど踊らず」の感は否めない。

 以上、内申に不安を抱えているけれど、市立福山の内進生と互角にわたりあえる生徒には市立福山をすすめる所以である。

 県立海田高校に進学する生徒は、「空手部に入りたい」というのが動機だ。福山市の強化選手にも選抜される逸材で、全国レベルの才能をもっている。何もなければ、誠之館にすんなりすすむところだろうけれど、そういう事情なので一も二もなく海田高校進学に賛成した。「カッコいい、どんどんやれ、勉強も学年トップをとれ」と励ました。合格と同時に、高校英語・数学の演習を開始し、海田高校周辺の優良学習塾・予備校を教材会社二社に依頼して探してもらった(結果は『広島市内に行かれた方がよろしいのでは』というちょっと寂しい結論が重なった)。

 選抜Ⅰは全員OK。合格後も浮かれることなく、各自マイメニューを週三日のペースできちんとこなしていってくれたことを非常に嬉しく思った。高校では公立中学の授業とは異次元の授業が行われていることを正しく認識し、ふさわしい準備を続けた、と言えよう。高校合格=大学受験スタートにほかならないのだから。

 広大附属福山(2/4入試) 6名受験 4名合格

 男子3名 女子1名の合格であった。(補欠繰り上げ合格者1名を含む)

 男子3名のお話

 合格した3名のうち2名は、入試前日の日曜日の授業を午後4時に終えたあと2時間ほどバッティングセンターに寄っていたらしい。

「先生、あの子たちはバッティングセンターに行ってたんですよ」と附属の校庭で聞かされたときは、さすがに驚いた。驚いたけれど

「大丈夫です、余裕があっていいじゃないですか」

「そうですかぁ」

「はい」と流した。今更何を言ってもはじまらないし、彼らにそうする理由があったのならそれでよい。たかが2時間バットでボールを打つことは合否に何の関係もない。友人の美技に感嘆する、あるいは醜態を笑い転げることでストレスが減り、無用な緊張がほぐれリラックスできるなら言うことなしである。試験の失敗は往々にして、いこれみ過ぎの過剰な緊張からひきおこされる凡ミスの集積であるから。

 実のところ、合格した3名は、過去問演習でほぼ間違いなく合格者平均をたたき出す結果を蓄積してきていたので、ふだんどおりいつもどおりやれば、全くなんの心配もなかった。ここが小学生と大きく違うところで、精神年齢の低い子達にいつもどおりやれと言ってもなかなか難しい。周囲の期待に敏感に反応してしまうことが少なくない。中3にもなると、半ば自立した自我がよい意味で抑制と安定機能をはたしてくれる。

 全県模試で3000名を超える受験者の中で、コンスタントに100番以内(二人は10番以内)の成績をとっていたし、偶数月のアドバンステストで、鬼のような難問に鍛えられていた。複数の評価軸のどれをとっても彼らは合格するべくして合格する準備が整っていた。

 秋以降は、こちらの指示・指導を待つことなく「円と相似と三平方の絡んだ附属レベルの問題ください」「電流と磁界で附属のレベルの問題をやりたい」「評論の応用問題レベルをください」等々、そのリクエストは見事に的確かつ適量で、塾屋の仕事はプリントを供給するだけだった。

 たまに、「先生、ここの解答がおかしいです、解説が変なんですど」と持ち込まれたものを見てみると、確かに彼らが正しくて、最高水準問題集の解説にエラーがあったり、アドバンステストの解説に誤りがあったりした。

 一年間先取りして中学の学習範囲を修了し、たっぷり一年かけて附属入試を準備する方法が確立して3年目、やっとうまく回りだしたような気がする。そんな彼ら3名は、合格後、速攻で高校初級レベルの英語・数学を片付け、3月からは高校中級クラスで1年先行している附属の内進生に並んで授業を受け始めた。また、大学入試に向けて新たなスタートが切られたわけだ。

 女子1名のお話

 中3の春から入塾した。中3Bからのスタートであった。数学に非凡な才能があった。8月の全県模試で驚くべきハイスコアを出して、「行ける」と思った。9月で中3の全課程を修了した。中3Fに移籍し、先行する生徒たちに混じって附属と岡山白陵の過去問演習に参加した。苦戦続きであった。たったひとり、数学の解けなかった問題を質問するために、村上の高校生の授業が終了するまで残り、それから1対1で解説を受け、終わってみれば午後11時をまわっていたことも何回もあった。時に「娘が出て来ないんですけれど」と駐車場で待機するお母様からメールが入っていたことも二度ほどあった。粘り強いところがよかった。しぶとかった。あきらめず、投げ出さず、依存せず、黙々と励んでいた。

 「先生、この子は心臓が口から出てきそうって三日前から言ってるんですけれど」と入試の日の朝、附属の校庭でお母様が笑いながらおっしゃっていた。朗らかに娘を気遣う母とはにかむ娘が入室待機するさまを見ながら、「ああいい親子だなぁ」と思った。決してでしゃばらず、必要にして十分な保護を整え、子どもを信頼し、あたたかく送り出す構図がすっと伝わってきた。

 結果は「繰り上げ合格候補者通知」。そして「合格」まで9日間待たされた。彼女曰く「もう毎日緊張で胃がキリキリ」しながら、公立高校の過去問演習を継続していた。合格者招集日の二日前、文字通りギリギリの滑り込みセーフであった。

 運がよかったのかもしれない。しかし、その運を引き寄せたのは間違いなく彼女の努力であった。エアコンを全開にしてもドアの開閉のたびに冷気が入り込む教室の壁際の席で、淡々とメニューをこなし続けた後ろ姿には、過去LECで成功した先輩たちの残像が自然に重なるひたむきさがあった。

 少女特有の甘えをすこぶる謙虚に控え、地道に努力を重ねた子に春がおとずれたことを心の底からたたえたい。

 

3月 公立高校

 誠之館高校  3名受験 3名合格

 大門高校理数科 1名受験 1名合格

 4名の受験者が、2月上旬から3月はじめまで、延々と公立高校の入試対策をおこなった。塾が休みであった三日間を除き、毎日5科目の演習をした。過去問は、平成15年から24年まで10年分。広島県公立高校入試予想問題3回分。一般的な公立入試対策模擬試験集6回分。中学3年間の復習シリーズ6回分。全25回、各回平均4時間弱の演習だった。

 中にひとり、私立高の受験は一切せず、附属と誠之館の2校受験、背水の陣で臨んだ少年がいた。残念なことに附属の入試では失敗した。易化した英語で点差をあけられず、苦手の数学で逆に点差をつけられたらしい。ひりひりするような誠之館1本勝負になった。勝算はあった。内申点はオール4プラス2or3、250点満点の学科試験は常時220点前後のスコアだった。2月中旬、競争率を心配されたお父様からメールをいただいたけれど、彼の安定した得点力をみるかぎり、不安要因はみあたらなかった。

 恐るるべきは、油断とインフルエンザだけであった。

 二日間の入試をまっとうにいつもどおり受験してくれた。「数学で2問しくった」程度の報告だった。やれやれであった。やれやれであったが、合格が確定するまでは安心できなかったというのが村上の本音であった。

 他の3名は、鉄板レースで失敗しようがなかった。ただし、1名、直前に体調を崩した子もいた。幸い大事に至らずにほっとした。しかし、「数学の証明が、、、」「リスニングが、、、、」と受験報告が連日不安要因を掻き立てる内容に終始した。いやいや、この子の性格であろう、とタカをくくって、「大丈夫、大丈夫、お前が失敗するわけがない」と言い続けた。デリケートな彼のことだ、不安で不安で仕方なかったろうに、それでも発表前からスタートした高校初級の授業にもちゃんと2回出席して、乗法公式だの文型だの勉強してくれた。立派であったと思う。LECスピリッツの発露である。

 

 以上、こぼれ話はまだ山ほどあるけれど、2013高校入試の概略は述べたと思う。

 

 村上の勝手な思い込みや錯誤もあって、理想的な受験指導ができたかと言えば、はなはだ心もとない。容易に指摘されうる失敗はたくさんある。限界の露呈は目をおおわんばかりだ。福山で21年間やってきてこれかよ、と思わずにはいられない。もし、うまくいっているところがあれば、それは生徒たちが賢かったのだ、生徒たちがよく努力して塾屋のヘボを補ってくれたのだ、そしてそれをあたたかく支援してくださった保護者の方々のおかげであろう。それに尽きる。

 性懲りもなく、また、今年も塾屋をやっている。たぶん来年も再来年も。

 いつまでも発展途上とうそぶくわけにもいかないし、未熟であることを許される年齢はとうに過ぎている、深く自覚して、少しはましな指導ができるように一歩ずつ謙虚にあゆみたい。