しれっと再開

いいことがあった。

大学4年になったオカチが、大手ハウスメーカーに技術職で内定を得た、と報告に来てくれた。旧財閥系名門企業の五次にわたる面接の顛末を、爆笑しながら、感動に震えながら聞いた。小学校5年から彼を知る村上だからこそ、彼が成し遂げた快挙の偉大さがよくわかる。

謙虚に、運がよかっただけ、と語る彼だけれど、大学4年間シビアな指導に屈することなくひたむきに建築の才を磨いた努力あってのことで、大学のブランド力に頼れない実力勝負の就活が、どれほどの困難を伴うか、毎年さまざまな報告を聞く塾屋には痛いほど理解できた。

もちろん、これからまた山あり谷ありの人生が待っているだろう。しかし、はるか下界を見下ろす32階のフロアで、内定決定を口頭で告げられた時の感激を支えに乗り切っていってくれ。

きみのもってうまれた人間性と野球で培った気合があれば、この世に解決できない問題は何もない。村上はそう信じている。

元野球少年の未来に幸多かれ!!

 

つくづく思う。

人が人生で得られる感動の質と量は、その人がなした努力の質と量によって決まる、と。人生の成功と失敗は他人が決めるのではなく、当事者である本人が決めるのであって、他者からどんなに称賛されても、本人が感動のない人生を肯定的に受け入れることは難しいだろう。そこに至るプロセスに、何かを達成しようとする明確で継続的な努力があって、それが成就してこそ感動は生まれる。そうして初めて成功を自覚し自信を得ることができる。

だから、この人生にとりかえしのつかない失敗などない。決して取り戻すことのできない一瞬一瞬を生きているからこそ、過去の失敗は未来の成功によって補填される。過去に拘泥せず、未来を信じて努力することによって、失敗は糧となり成功へのステップとなる。

いや、そんな理屈はどうでもいい。手に入れたいものがあれば、手に入れる努力をすればいい。その実現方法は、たぶん何通りもあって、プランAがだめならプランBを試せばよい。場合によっては数年、数十年かかることもあるかもしれないが、あきらめなければ道は開ける、と多くの先人たちが教えてくれている。

 

時に一休みしたい時もあるだろうし、道に迷うこともあるだろう、いつも全力で疾走することはできないだろう。それでも、やっぱり、坂の上の雲をみながらひたむきに坂道を登ってゆく姿勢だけは忘れないようにしよう。時代遅れの古臭い考え方かもしれないが、村上には普遍的な考え方に思われる。