ブログを二日休んだわけ、など

 まず、日曜。県外の私立進学校に通う教え子(男子T、新高2)が遊びに来てくれたので、授業終了後ちょっと食事に誘った。すばらしいスピードで、いっそう成熟していく彼の話を聞きながら感嘆する一方で、いやになるくらい変わらないまま老いていく自分の姿に嫌悪した。でも、ブログをごちゃごちゃ書いているより、ぺちゃくちゃおしゃべりしている方が、圧倒的に楽しい。ということで、日曜日はパス。
 次に、月曜。私的な用事で朝からあっちこっちとウロウロ。小6の授業が始まると、2007年式、強力絶叫型授業がずっと続いて、終わったときはヘトヘト。小6の生徒が三人居残りになった、その余韻を抱えたまま、中2も超専制授業。英語で6人再テストになった。残された生徒がグチャグチャ意味のない不平をもらすので、「GAWO-!!!」と吼えると、ひとり「UGYA-!!!!!!!!」と反射的に即応する、はっきりいって無政府状態。なんと野蛮な塾であることか。塾屋の知性のなさがむき出しになってしまった。
 高校英語基礎の授業も絶叫瞬間爆発沸騰式授業、即答できない生徒が次々レーザービームで狙い撃ちされ炎上していく60分。授業が終わると、ムラカミの理不尽な抑圧からやっと解放された生徒たちが、やれやれという安堵感を漂わせつつ、傍らに群れてハイテンション・トーキング、相手をしていると、ブログを書く気力もなくなり、パス。
 受験期の余熱が残る新年度初頭は生徒たちと僕との間で、授業に対する意識の差が激しい。彼らは「ムラカミはなんであんなに不機嫌なんだ」とキョトンとしている。僕が「チクショウ、絶対コンドハ失敗スルモンカ」とか思っていることなど露知らない。
 塾屋にとって春はいつも残酷な季節だ。教え子たちの合格と不合格の間で、悔恨と喜びが錯綜し、落胆と昂揚が入り乱れる。全ての受験結果に意味があり納得できる、と言いきれるほど僕は強くない。だから、新聞の折り込み広告を入れなくなってもう十数年になる。矛盾した感情を個人的に整理整頓できない状態で、何かをパブリッシングする気がおきない。恥ずかしながら塾屋をやっていて、いや、塾屋にしがみついていて、毎年毎年、途方もない錯誤を犯しながら、厚顔無恥に生き続けていることを、自から進んで宣伝することもあるまいと、つい思ってしまう。
 できる人たちはすればいい。人それぞれに考えがあり、哲学があり、身の処し方は自由だ。企業には企業論理もあるだろう。資本主義の原理にのっとって自由競争を勝ち抜くために、徹底的なマーケッティングを行い、イノベーションを進め、効果的な宣伝戦略を駆使していけばいい。否定するつもりは毛頭ない。その過程で、よりこの社会に貢献する価値を高めていくことができるのであれば慶賀にたえない。
 でも、僕はいい。羊のように迷いつつ、人間的限界を暴露しつつ、僕の道をいく。
「この社会がもし僕を必要としているのであれば、僕の塾は存続しつづけるであろう」という思いは、福山で開業して15年、首尾一貫変わらない。いつまで、そう思っていられるか分からないけれど、たぶん、今年も大丈夫。それ以上先のことはわからない。知りたくってもわからない。だから、考えない。考えられる範囲で考えなければならないことが多すぎるのだから、せめて考えられることを考えたい。考えても必ずしもうまくいくわけではないけれど。
 二日ほどブログを書かない、と、どうも話が長くなる。すみません。