ドカン、ドカン、ドカン

 と、怒り炸裂。小5の算数、規則性の問題、前回しつこく教えた等差数列の公式を忘れた生徒に一発目、ジェスチュアつきで全員で唱和して暗記、もう、まったくぅ。中3の数学、相似の証明で、ひし形の定義を忘れた中学3年生に二発目、「君が小学生の頃にのんべんだらりと過ごした間に、いったいどれほどの知識を身につけ損ねているか、考えろ。君が立ち向かうべきは、バスケットボールのコートではなくて、入学試験の問題用紙なんだぞ、わかってんのか」全力面罵、息があがってしまった。中3の英語、関係代名詞の区別がついていない生徒に三発目、「何考えてるんだぁ。こんな簡単な問題で、授業をとめるなぁ。家で考えて来い!」他に、小6の演習で、再テストをタラタラ時間オーバーでやる生徒に四発目、「ふだんチャランポランにやっている奴が、ここ一番でビシっと決められるはずがあるか。どうして工夫しない、どうして努力しない、工夫と努力をみせてみろ、自分を変えてみせろ」と超高圧プレス。
 休憩時間に、息も絶え絶えになって03教室でコーヒーを入れて、高3の生徒に、「君らが小6のときもこんなだったかなぁ」と話をしていると、また、今年も「オレラのときはもっとすごかった」というLEC定番の回顧談になった。
 引っ越す前の教室で階段に正座させられて、脚が痛くて死にそうだった、とかなんとか、、、
 やれやれ、いつか聴いたエピソード、どこかでした話、去年もその前も。
 授業も終わって、特訓中の生徒のテキストを点検していると、そこへ割り込むように入ってきて、先生は子どもみたいで小6と同レベルで話をしている、とか、きょうの授業中に木っ端微塵に粉砕された生徒がしょんぼり帰っていったとか、躁状態で話し始める生徒がひとり。しょんぼり帰った生徒は受け入れるべき当然の結果を受け入れただけであって同情するにはあたらない、と言うと、
 「先生、もうへとへとじゃろ」と目をくりくりさせて言う。
 「あぁ、もう今日はやりつくした、やるべきことはみんなした」と嘘偽りなく返事をした。
 「いいじゃん、達成感が味わえて」とさらりと言ってのける。
 「ああ、ありがたいことだ」と、こちらも軽くかわす。
 「明日も来てあげるけーな」
 「はいはい、よろしく」
 「絶対来るけーな」と、
 やっと心の底にわだかまる不安を自覚し始め、勉強するしかない、という認識が出芽しかかっている状態を、自分でどう受け入れるべきか困惑しているさまが素直に露出していた。10月下旬にふさわしいふるまいであるといえよう。

 いずれにしても、風雲急を告げてきた。

 なりふりかまわずバリケードを突き崩し、バリアを打ち破り、突撃する。
 あすも、あさっても。
 それが受験生の生きる道。