小5

 タイトに絞られた授業になると、頭の中がブラック・アウトして平常心を失う子が以前より増えた気がする。たぶん、僕と彼らとの年齢差が大きくなって、僕の威圧感が僕が思う以上に大きくなってしまっているのだろう。以前の僕(5,6年前)は、生徒にとって、自分のお父さんと同じか、それより若い先生、だったのが、今では、お父さんより年上のおっさんになってしまっているのに、僕が手加減せずにビシバシやるものだから、彼らが縮み上がってしまうことになったのだろう。さらには、僕が授業の達成水準をあげ続けてきた結果、並の力の子たちには相当負荷の大きい授業展開になっているとも考えられる。以前なら笑って許していたミスを最近(ここ2,3年)は見逃さないことも多いのは確かだ。
 で、きょうはちょっと考えた。
 頭脳緊迫硬直が頻繁に起こる生徒に対して、「おかあさんといっしょ」@NHK の「歌のおにいさん」のノリで誘導した。すると、いやになるくらい、のびのびと軽やかに答えるではないか。柔軟自在に溌剌と正解までたどりつく。軟化したゆるい雰囲気にこうまでビビッドに反応する甘さが気になるけれど、ちゃんと解けたことをまず喜ぶべきなのだろう。
 怒られない、という絶対安全保証があると、子どもらはもっとのびのび学ぶのだろうか。それは安直な雰囲気に流されているだけで、実は、思考力そのものが鍛えられているわけではない、のではないか。緊迫した入学試験でまさに必要とされる、研ぎ澄まされ、圧倒的なスピードで思考を組み立てる知力は、決してゆるい雰囲気では育たないのではないか。しかし、まず、思考の扉そのものを自力であけることすら困難な子たちには、甘い砂糖菓子にも似たアプローチが必要なのではないか。たぶん、どちらも正しい。対象とする子どもらの知的水準次第というのが妥当なところか。
 変幻自在に、生徒に応じてスタイルを変えるしかあるまい。砂糖菓子をうけつけない子もいれば、クールな説明にはまったく反応できない子もいる。個人塾の算数の授業はモザイク模様で彩られていて当然なのだ。当意即妙の接し方がどれだけできるか、過剰なパフォーマンスに流れず、あたたかい波動を失わず、ぐいぐいと子どもらをひっぱっていく合目的的な授業を、僕はちゃんとやっているのか。
 きょう、生徒はこう言った。「先生!、先生は「歌のおにいさん」ではなくて、「歌のおっさん」じゃない」。然り、まさに、然り。