と言うわけで、今夜は雨。

中学生の中間試験の結果が続々手元に集まってきている。おおむね想定の範囲内にあって、「何だこれは?」という結果は、ここ数日お目にかかっていない。ちょっとほっとしつつ、しかし、気は抜けない。

まず、中1。英検5級の試験を前にして、加速した英語の授業をしなければならない。難題は、一般動詞、三人称の主語。これさえクリアできれば、あとは何とかなる。次回の授業が山であろう。数学は、中高一貫校にあわせて公立中学では中2の範囲にあたる単項式の乗除をとりあげる。これは楽勝。あっというまにマスターできる。指数法則をきちんと教えられるのは楽しいことだ。0乗や、マイナス1乗に触れられたらもっと楽しくなるが、さて、生徒の反応次第。
 毎月の学力テストの成績で、夏からクラスを二つに分けることを言明し、現在までの成績から誰が候補者であるかも告げた。今後、二ヶ月の成績で最終的に絞り込む予定。飛び級する生徒を選抜するのにいくら慎重であってもよい。

中2。明日の授業は、英検対策で3級の問題をとりあげる。飛び級して3年にいる子達で、1年次に3級を取れなかった子達も合流する。例によって、いかに合格最低ラインを越えるか、というテクニカルな話をすることになる。合格させることで自信をつけさせ、英語に対する距離感を小さくしていく。秋に準2級をチャレンジすることが主目標なのであって、1学期の3級は軽くキックしてもらいたい。

中3。5月の学力試験では、やっとひとり成績優秀者が出た。少なくとも4人は対象にならなければならないだろう。さらに、飛び級している中2が成績上位を独占することも打破する必要があろう。現中3は、よぶんに毎回1時間ずつ、さらに別の曜日にも2時間、塾で自習時間をとっている。しかし、学力試験の答案を見る限り、豊富な演習でミスのない実力を身につけているのは、飛び級中2上位者である。家庭学習の差が露骨に出ている。いや、確かに、学校での授業時間数や、授業レベルが公立中の生徒にとってハンディになる可能性はある。しかし、それだけで、この差は生まれないし、それを言い訳にしていいとも思えない。1年分の学習量の差を覆されている現状をもっと深刻に受け止めるべきではないか。
 
失敗するかもしれない、しかし、失敗を恐れてはならない。「失敗したら、もう一回失敗してやれ!」ぐらいの気持ちで、とことん突き進んでいけばいい。果敢に挑戦し続ける中で、はじめて芽を出す才能、身につけられる能力というものがある。安穏とした予定調和の中には成長も進歩もない。言いたい奴には言わせておけ。魂の根っこから湧き出てくる思いに忠実に歩んでいけばいい。−という内容の文章を、昨日、神辺のフジグランのヴィレッジ・ヴァンガードで立ち読みした岡本太郎の著作に見つけ、繰り返し繰り返し読んだ。真正の芸術家だからこそ言い放てる刺激的な言葉が、BGMのジャズや、脇で流れるルパン3世のサウンドトラックや、アロマの香りや、極彩色のガジェットに囲まれていた僕の心に深く静かに突き刺さった。「あーすっきりした」とショッピングで中間試験のストレスを消し去った娘が能天気にやってきて、僕の岡本太郎との対話も終わった。これまで、僕にとっての岡本太郎は「芸術は爆発だ!」というCMの台詞しか知らなかった、「太陽の塔」をみても何かキッチュな造形、ぐらいにしか感じなかった。「明日への神話」も、はるか遠い存在でしかなかった。こんなに親しい叔父さんだったのね、というとおこがましいけれど、いざというとき、頼りになる人が、また、ひとり増えた?ような気分。