しまなみ海道の新緑は今が盛り

ひょんなことから、桜の咲き始めから新緑の盛りまで、刻々と変容する沿道の風景を存分に楽しむドライビングもきょうでひと段落。
いろいろあった春の嵐も終わったけれど、当然、それはひとつの始まりであって、何もかも元通りというわけにはいかない。逆走禁止の一方通行の道しか人生にはないわけだから、不可逆性にたじろぐ前に、すすんで現実を受け入れ切り開いていくべきだろう。
ただ、からだの不自由な老人がひたすら安穏を求め、創意工夫を拒否する気持ちをもったとしても責められない、と、思ってしまう。不健康も不健全も、未来のある者にとっては忌避すべき事象であっても、未来を思い描く気力すら枯渇し始めている者には、どうでも良いことかもしれない。信仰のない人々がモラルハザードに陥ったとき、依ってたつべき自尊心すら失うと惰性しか残らない。昨日と同じ今日、今日と同じ明日、生きることの意味がその最低限の繰り返しにしかならないとしたら、、、
老人になることを試されているような気分で、老人介護をしている自分に気づく。いまだ暗中模索。

割り箸も割れぬ母が繰り返す昔話