二日休むと世界は変わる

二日休んだ。いいことがいっぱいおきた。
午後1時、塾のシャッターを上げた。何も期待せずにパソコンを起動し、業務メールをチェックした、二日間で返信を要するメールは一件、必要のないメールが26件だった。その後、生徒から預かっていた過去問を添削し終えた頃、予約された入塾案内の時間になった。きょうは2セット。
入塾案内を終えるとすぐに、明日入学試験がある高3生の子の過去問解説を始めた。
40分ほど経過した頃、中3女子(非受験組、中高一貫生)が1名、晴れやかな笑顔で登場。学校が学年閉鎖でなかなか英検の1次の結果を教えてもらえずやきもきしていた子、2学期に準備不足も省みず無理やり2級に挑戦させて、手痛い失敗をさせてしまった子、が、なにやら弾むようにやってくる。解説を中断して02教室と05教室の間のドアまで急ぐ。
「先生、受かってました」おおおおおぉぉ、やったぁ、と、村上が勝手にガッツポーズ。昨年10月19日に「落ち込むな。君はベストを尽くした。次回は大丈夫だ」という言葉(ブログ参照)をかけてから苦節四ヶ月、よく努力してくれた。まじめな子がまじめに努力し、当然の結果として合格してくれたことを心からお祝いしたい。ホントによかった。
ただ手放しでは喜べない。2次試験まであと3日、全力で準備を間に合わせなければならない。その場でプログラムを組んで、がんばろう、と励まして別れた。彼女ならなんとかこの嬉しい試練も乗り越えられるだろう。
解説にもどって10分ほどすると、新たな中3女子(受験組、中高一貫生)が1名、これまたとろけそうな笑顔で跳ぶようにやってくる。ほよ、彼女が喜ぶことといったら、たったひとつしかない、しかし、、、と思いつつ、注視していると、05教室のガラス越しに、口のうごきは『うかった、きました』と読める!えっ、まさかっ、ホントにっ、と、はやる心をおさえつつ、05教室に突進した。

彼女は、広大附属福山高校の繰り上げ合格候補者通知をもらっていた。
合格発表から10日間、日ごとに小さくなる可能性を抱きしめつつ、その間、彼女は、平成18年、19年、20年の公立高校の過去問を、直前連続テスト第1回から第3回までを、各4時間日々淡々とこなしていた。誠之館をセフティ・ネットにして敢えて中高一貫校を出て広大附属福山高校を受験するという方針は、3年前、中学受験で広大附属福山中学に不合格になったときにたてられたものだった。
そのときも、実は彼女は繰り上げ合格候補者通知をもらいながら、無情にも電話はかかってこず、泣く泣く次善の策をとらなければならなかった。小4から指導したものとして断腸の思いであった。その責は村上にあったからだ。

3年前、広大附属福山中学受験の指導に失敗したとき、村上は次のようにブログに書いた。

「悔しい、なぜだぁ!」と言いたい、でも、言わない、言わずにその思いをそのまましっかり胸に収めて、次の目標に向かって歩み始めよう。チャンスはまた来る。やるべきことをしっかりやって、なるべきものになろう。勝敗は時の運。いつまでもこだわってなんかいられない。次に流す涙は、きっとうれし涙になるから、いや、必ず、うれし涙にしてみせるから。

3年後、その言葉とは裏腹に、先日の合格発表の掲示板に彼女の番号はなかった。数学の失敗が原因であったろう。過去問演習で複数回、合格圏内に入ったことを確認していただけに、言葉もなかった。
だから、合格発表から2日後の懇談で、「繰り上げ合格候補者通知」を受け取っていると、ご挨拶も早々にお母様からお聞きしたときは、思わずその場にしゃがみこんで「ああああぁぁぁありがとうございます、じゃぁまだ望みはあるんですね」と、みっともなくも大声でさけんでしまった。
そして、あらためて広大附属福山を中学、高校と2度受けて、2度も「繰り上げ合格候補者」になる不運をお詫びした。あと一歩、村上の指導に足りないものがあることを痛切に悔やんだ。

そして10日間。待ち続けた。


「先生ぇ、きましたぁ、合格しましたぁ」
「えええっ、きたぁ、嗚呼あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ、やったぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ、よかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、おぅっおぅおぅおぅっぅ、ありがとう」
あとは何を言ったか、もう思い出せない。ここまでいろんなことがあったけれど、決して平坦な道のりではなかったけれど、彼女が合格するにふさわしい努力を払ってきたことだけは、完璧に証明できる。2学期以降、塾で4時間以上勉強しなかった日は、おそらく一日もなかっただろう。大好きな「ワンピース」の劇場公開も我慢して、何もかも我慢して、ただひたすら附属に合格するために塾の机にかじりついていた。しばしば夜11時をまわり、最後のひとりになるまで05教室で一心不乱に勉強していた。誰にも真似できない勉強をした。ここ数ヶ月作り続けてきた過去問の間違いなおしノート、理科や社会のまとめのノートは、どのひとつをとっても超一級品だ。これまで附属に合格した生徒達の誰と比べても遜色のない立派なものだ。どれほど誇っても良い。だから、合格して当然だった。すんなりいかなかったのは、村上の導き方が下手だったからにすぎない。
胸をはって入学してもらいたい。入学するにふさわしい勉強を3年間やってきたのだから。