彼らの夏、これからの夏

 中3の子たちにとって大きな意味をもつ試合がいくつかあった。中には、中学3年間の部活の総決算となった子もいた。語りつくせぬ思いもいろいろあっただろうけれど、ゆっくり聞く機会はまた別の機会に譲って、きょうは授業の初日、簡単な結果報告にとどめて授業をやろうとした。
 残念なことにひとりまったく準備不十分で、明らかに信頼関係を踏みにじる状態で現れた子がいた。まったく反省する態度をみせなかったので帰宅させ、退塾してもらうことにした。これまで何度も指導してきたが、意欲を引き出すことができず、態度をあらためられなかった。受験生としての自覚をもたせることができなかった村上の力不足を保護者の方にお詫びした。ご了承いただいた。
 できない、のではなくて、やって来ない、というその態度を、今回はどうしても受け入れられなかった。もうちょっと待ってやろう、という気にどうしてもなれなかった。受け入れ、待つべきだったのかもしれない、と、心の片隅で今でも思う。11歳の小学生にもどうしても待たなければならない子がいる、きょうはギリギリまでせめぎ合ったけれど、最終的に待つことにした。しかし、15歳の子には、ここでけじめをつけなければならないと思った。満を持してスタートした中3の講習初日、志高く一気に飛躍するべき時にあるまじき態度だった。
 その子に特別の事情があったわけではない。部活動にしてももっと熱心にとりくんでいる子はいくらでもいる。考慮するべき付帯事項は何もなかった。ただただ無自覚なだけだ。これまで紆余曲折あった経緯すら、徹頭徹尾無化するその態度に最後は言葉を失ってしまった。しょせんその程度の指導力なのだろう。つくづくヘタレな塾屋であると思う。力量不足の塾屋の指導ミスにほかならぬ。
 が、それでも明日の講習も前へ進まなければならない。部活を依然としてかかえながらハードな講習を受ける子、部活からガラリと重心を勉強にうつして頑張る子、より高いレベルを目指して鋭意努力を重ねる子、彼らの期待に応える授業をビシバシ決めていかなくてはならない。ヘタレな塾屋なりに務めを果たさなければならない。
 どうしてもっと違った形にもっていけなかったのか、たぶん、今夜はぐずぐず考え込むだろう。でも、明日は明日。気持ちをきりかえて前進するだろう。
 日々、自分の限界に向き合っているような気になる。たぶん、それはやり方を変えれば、いくらでも冗長性を確保できるはずだと思うのだが、さて、、、。
 
 なぜだ、という思いがどうしても消えない。なぜ君はやって来なかったんだ。