7年後って

 2020年にオリンピックが東京にやってくる。「7年後」と聞いて「なんだよ、俺もう60すぎてるじゃん」と愕然とした。

 これから東京がどう変貌していくのか、日本社会がどう変質していくのか、興味は尽きない。強権的なナショナリストが、歴史に学ぶことなく独善的に実績作りに励むのか、希望と期待が日本に新鮮な活力をもたらすのか、懸念と期待の混交する感情が矛盾なく同居する。しかし、村上はしょせんその他大勢の傍観者のひとりにすぎない。あれこれかんがえたところで妄想を弄ぶだけのことだ。

 村上が当事者として明瞭に見通せる現実は、7年ではなくせいぜい7か月くらい。いや、入試までの5か月が関の山だ。年度がかわるその先のことは、漠然とした構想しかない。半目隠し状態と言ってよい。悩みたくても悩めないなら悩まないでいい、これまでも悩まなくてはならないことをきちんと悩んでいれば、あとはおのずと道が開けてきた。たぶん、運がよかったのだろう。とにかく、メタボなオヤジは一日してならず。日々、職務を全うしようとする愚直な営みの中でデブの塾屋は生成されてきた。(怠惰と優柔不断の中でうまれたのかもしれないが)

 

 それが7年後には「60を過ぎたジジイ」になる。いやはやなんとも。今から7年たってもまだ小学校4年生に、「これが植木算の3パターンです」ってわかってくれたらうれしいなぁ、と思いつつ説明しているんだろうか。孫みたいなちっちゃい子たちを相手に算数の授業をしているんだろうか。

 村上と小4との客観的な年齢差は、この30数年年々大きくなっているはずなのに(2013年現在で43歳)、主観的には、いつまでたっても塾屋を始めたころの感覚(1979年時点で10歳)のままやっている。しかし、白髪も皺も増えた外見をごまかすことはできないから、同じようなパフォーマンスをしているつもりでも、実態は意識と乖離したところで動く。7年たてば、どれだけの乖離が生じているのか、補正しようがないレベルになっているのか、やれやれ、これまた悩んだところではじまらない。

 生涯現役と言いつつ、老害を垂れ流し、周囲に迷惑をかけ、望ましくない結果を招くようなことは絶対避けたい。できることとできないことを見極める判断力を常に研ぎ澄まし、できることに全力を注げる態勢をきちんと確立できているかどうか、日々試されていることを忘れないことだ。

 やってみなければわからないことも確かにある。あるけれど、それはギリギリまで考え抜いた結果、やむにやまれぬところで敢えて挑戦するときに使うフレーズだと思う。安直に、運を天にまかせて始めたものは必ず失敗する。誰もが首肯する道理であろう。抜き差しならぬ状況を打開する乾坤一擲の試みは、常に諸刃の刃で、試すものを深く傷つきかねないリスクを負う。

 たかが受験指導に、過度な気構えと笑われそうだ。

 できれば、さらりさらさらさわやかにやりたいものだ。

 せめて、5か月間、それぐらいの間は。