彼らの夢、私の夢

高2の英語の授業で、

「はい、君たちのセンター試験までもう1年を切りました。優先順位をはっきりさせ、本当に手に入れたいもののために、何を代償として犠牲にするか、よく考えて、今夜からできることに取り組んでください」

と、はっきり言って脅し以外の何物でもない発言をした。

 

冗談ではなく、本当に、ひとり孤独に自分と向き合って考えてほしい。何を本当に手にいれなければならないのか。そのために、何をしなければならないのか。誰のためでもなく、自分自身のために。

 

中2は、中3も数名加えて、英検準2級(13名)と3級(6名)・4級(1名)と3つにわかれてリハーサル演習。合格ラインに準2級に4名、3級で2名、4級で1名到達した。

 

恒例の50語の単語調べを課題とした。

 

ひたむきに課題に取り組む子には必ず飛躍が訪れるのが、英検のよいところ。

辞書を引き、意味を確かめ、飽くことなく反復して単語を覚える作業にいそしむことだ。語学学習に近道はない。秘策も特効薬もない。当たり前のことを当たり前にやるだけである。

そのための年三回の英検対策である。

 

もちろん、合格できればそれに越したことはない。小さな成功体験を積み重ね、自信を大きくする効能はいくら強調してもよい。

 

が、語学の学習はまず「辞書をひくことなんだ」という点を正しく認識することの方がもっと大切だと思う。近辺の中学校で、ちょっと英語ができるとかいってもたかがしれていることを深く自覚する必要がある。

井の中の蛙は願い下げだ。

 

中2の3学期にもなって、たかが英検準2級ごときでガタガタ言ってはいけない。ましてや3級など、である。ビシバシ練習して強靭な実力を養ってほしい。

 

今週はどっぷり英語に浸ってほしい。

生徒それぞれに事情はあるだろうけれど、たった年三回のチャンスにほかのことを優先させてしまうのはどうかと思う。認識力のなさ、洞察力のなさを哀しく思う。

当然、その重要性を認識できる子は必ず伸びる。

 

たった五日間だ、毎日でも塾に来て、英検の演習をしてほしい。

資材はいくらでも提供する。

 

しかし、強制はしない。

強制されて本当に伸びるものでもないから。

 

しかし、自覚は促したい。

自分にとって何が重要か、見極める力を養ってもらいたい。

 

自分に自信をつけるのは、いつでも簡単ことではない。

敢えて苦難にとびこんで、苦難を苦難とも思わずにやり抜いてしまう実行力が必要なのだ。

そのためにLECがあり、村上がいる。

この機会を最大限生かすことを中2生に望む。

 

きょう私立高校を受験した中3生全員がひとりも欠けることなく、夜の自習タイムに登場し、ちょっと感動していた。

5:50に最初の少女が現れて、へぇー、やるじゃないの、と思っていたら、三々五々集まってきて、ついには「おう全員きたかぁ」とひとり感激していた。

なかに一人バテバテの少年がいて、

「おまえなぁ、もう帰っていいよ。そんなに疲れててさぁ、やっても意味ねぇよ。さぁ帰って寝ろ」

と、村上から冷たいシャワーのような言葉を頭から浴びせかれられた。

どうーすっかなぁ、あいつ、帰ってもいいんだけれどなぁ、と、思ってみていたら、結局午後10:00まで理科の復習をやりつづけていた。

ふふふふ。いいやつだ。

 

小6は市立対策と附属対策にわかれて演習。

市立対策は例によって、適性Ⅱの作文はみんな素晴らしく上達して、本当によく書けるようになった。

問題は適性Ⅰ。

最後まであきらめない姿勢は身についたが、考える力には、まだまだ伸びしろがいっぱいだ。

明日も特訓!

附属対策の子たちにはこう語った。

「君たちはまだ何も手に入れていない。そのことをよく考えて隙をみせないように。間違い直しをとことん徹底してほしい」

 

各学校でインフルエンザが猛威をふるっている。

いずれにしても体調優先でいこう。