『そういう系?』

 小5の算数、小テストの間違い直しの時間、生徒から基本問題を質問された。やれやれ、と思いつつ、サラッと解説してみせたら、「なんだ、『そういう系』かぁ」「『そういう系』ね」と、一斉に『そういう系』の十字砲火を浴びた。

 好みの言葉ではなかった。

「すまないが、『そういう系』という言葉を使わないでほしい。『そういうやり方』というべき時に、『系』一語で、あいまいにまとめないでくれ。おじさんの辞書にそんな言葉は載っていない。子ども同士で使うのはかまわない。勝手に使ってくれ。でも塾では使わないでほしい」

 彼らからすれば、「この問題はテストの時は解けなかったけれど、解説をきいてみれば実に簡単で、ちゃんとやればできたはずだ、だから、次からは簡単に解くことのできる類の問題だぁ」と言いたかったのだろう。たぶん。

 だが、おそらく、ダメだろう。

 「そういう系」と、曖昧なカテゴライズをしてしまう認識力、もしくはその程度の表現力では、次回(それがいつになるかわからないが)、また、失敗することだろう。なぜなら、記憶に刻印する反省もせず、問題の本質を見抜く努力もせず、表面的かつ安易で乱暴な感想を述べてわかったような気になっているからだ。

 まぁ、『系』を「やり方」に言い換えたところで、たいした違いはない。そこはまさに言葉の好みの問題にすぎない。村上の趣味を押し付けているだけじゃないか、と言われればまさにそのとおり。つまり、解説を聞いた時の彼らの即時反応の仕方が、あまりに軽く、真摯さに欠けていた点が問題なのであって、必ずしも使った言葉が問題ではない。

 だから、言葉尻をとらえて偉そうに趣味を押し付ける前に、もっと深く物事を考える姿勢を養ってやるべきだったのだろう。村上のこだわるポイントがずれていた。

 とすれば、彼らならこう言うだろう。

 『そういう系』はOK?