負け慣れ

 リオ・オリンピック、日本卓球女子チームの監督さんのお話を読んでいて、はっとする部分があった。以下、引用。

 

卓球は、ほかの単身競技に比べて、大会出場機会が段違いに多い。だから負ける回数も多い。ほとんどの大会で、負けて帰ってきます。つまり「負けるときはこういうものだ」というのをみんな知っているわけです。「負けを出発点にして次に向かう」という習慣が、卓球競技の中で醸成されているんです。負けて終わりではない。3位決定戦があるなら、そこに向けて最善を尽くす。みんなその意識でいるんです。

 

福原愛、リオ五輪「涙のエッジボール」猛抗議の舞台裏 日本女子卓球監督・村上恭和氏に聞く(第1回)|情熱クロスロード~プロフェッショナルの決断|ダイヤモンド・オンライン

 

 LECの受験指導のあり方を重ね合わせて読み解くと、、、

 LECの中学受験。

 広大附属福山中学の入試に、毎年10名前後の生徒が挑戦し、ほとんどの生徒が失敗する。例年、多くて4名、少なければ合格者は1名だけということもある。それなりに高い可能性をもった子たちがボロボロ落ちてゆく。福山市立中学まで含めて考えると、もっと合格率は低くなる。

 高校入試。広大附属福山高校のリベンジ合格率はさすがに高い。本来なら中学から合格してよかった子たちが多いのだから当然と言えば当然で、塾の指導力というより、リベンジを誓って三年間努力を惜しまなかった子たちの努力の賜物といったほうがよい。一方、内申不足を背負ったハイリスクの誠之館受験にも失敗することが多い。挑戦的な受験が功を奏することもないわけではないけれど、本人のよほどの覚悟がなければ、たんなる冒険主義で終わってしまう。内申のハンディを覆すのは容易なことではない。合格したいという熱い気持ちがすべてを解決してくれるわけではない。志望校の選定にあたって塾屋として自戒しなければならないことは多い。

 しかし、くじけず、しぶとく、今年も、方針を変えることなく「迷うくらいならチャレンジしろ。受験せずにあとで後悔するくらいなら、とことん頑張って受験して、それでも不合格になったら、死ぬほど悔しがって次につなげろ!」と強気モードで生徒の背中を押している。

 そういうわけで、保護者の方々には時に耐え難い心痛をおかけすることになっている。歓喜の瞬間が目の前に迫っていながら、絶望のどん底に叩き落されるということも数多くあった。

 お詫びの言葉もない残念な結果を毎年のように再生産し続けている。

 厚顔無恥の誹りを免れない、と思う。

 

 にもかかわらず、思いは変わらない。

 失敗に拘泥せず、たとえ心切り裂かれるような結果でも堂々と受け止め、乗り越え、次の機会に備えるための歩みを止めてはならないと。

 これまでそう考えて指導してきた。そして、おそらく、これからも。

 

 受験生には、良い意味での「負け慣れ」が必要だ。失敗しても、切り替えて上を向き、次のチャンスを生かすために、今できることに全力を注ごうとする、その姿勢が重要なのだ。連戦戦勝してやっていけるわけがない。人生は敗者復活戦の連続だと考えたほうがよほどすっきりする。「敗者にこそ復活する権利があり、義務がある」

 「負け」に「慣れる」とは、「打たれ強く、しぶとく、あきらめずに最後まで戦い抜く」ということだ。だから、負けた時こそ、目をそらさずありのままの自分を見つめよう。映し出された自分の弱点や短所をひとつひとつきちんと認識し、足りなかった演習や、考えの及ばなかった点を考え抜く練習をしよう。

 未来への投資を怠らずに継続したものだけが、最終的な果実を手に入れる。

 長い話だ。

 どこまでも続く。