「今の状況からすると、5/6に学校の休業が突然終わって、7日から学校が始まるなんて考えられない。たぶん、オンライン教室は延長されるだろうね、僕はそのつもり」と授業の最後に何気に口にすると、
「ひぇー、そうなんですか」と生徒Aの相変わらずの反応。「おまえなぁ、ニュースをちゃんと見て、状況を把握しろよ、こんなありさまで、学校再開してみろ、感染が拡大するのは目にみえてるだろ」
オンライン授業のリズムはできた。この先、何か月延長されようが、システムは持続できる。(システムの抱える根本的な脆弱性は、村上の体力にあるのだが)
双方向オンライン授業の特質は、瞬間瞬間1対1で生徒と対峙し、生徒個人に直接関われる時間が増えたことであるように思う。
村上のヘッドフォンの中に響く生徒の声は(それが良質なマイクを通した高品質のものであればあるほど)、聴覚を直撃し脳に大量の情報を伝える。
発言する生徒の不安や恐れ、自信や誇らしさが手に取るようにわかる。
だから、返す言葉も一斉授業より必ず多くなっている。一斉授業をしているのに、連続して個人に個人に指導を繰り返しているようだ。もちろん、クラス全員を対象に語り掛けつつ、授業は進行する。だが、ミュートをはずし、生徒に発言を促すと、途端に1対1の状況に転移する。
今ままでにない感覚で新鮮だ。
この生徒の個別感は、これまでの対面式の授業ではなかった。
オンライン授業ならではの感覚だ。
もひとつ。
板書しながら、ふっと振り向くと、いるはずの生徒たちがいない!
えっと蒼ざめ、一瞬背筋が凍る。
いやいや、生徒たちはちゃんとPCの画面の中に並んでいる。あるものは熱心にノートをとりつつ、あるものは画面を消して、名前だけ浮かび上がる区画の向こうで。
それとわかって、自嘲する。
生徒たちは家にいるのだよ、この教室にはいない。
お前が話しかけていた子たちは、PCの画面の中だ、と。
この教室のリアルな風景のほんの一部が、PCの画面によって切り取られ、バーチャルな空間と接続されている。オンラインミーティングと呼ばれるそこには、クラスによっては10数名の生徒たちがいて、時に褒められ、時にののしられつつ、これまで同様に授業をうけている。
その声をダイレクトに脳に取り入れるがゆえに、心理的距離が小さくなる。以前より身近に感じる生徒たちが、以前より遠い場所にいる。
遠い昔、電話の向こうの相手の声を全力で聞き取ろうとしていた時のことをを思い出す。ときめく感情と実体のない相手。
しかし、都合のよい幻想におぼれてはいけない。私の説明能力と生徒たちの理解能力が、劇的に改善されたわけではない。乗り越えるべき課題はいくつかある。ノートに書かれた彼らの文字を見る機会がないのは確かに痛い。
それでもなお、オンライン授業であるがゆえの特質を生かさない手はない。
このスタイルが今後何か月も続くのであれば、もっとその有効性を生かすスキルを磨くべきだ。
そう考えつつ、四日目を終える。
私たちは苦境にいるのではない。私たちは大きなチャンスを手に入れつつあるのだ。