第108回全国高校野球選手権広島大会決勝戦で、市立福山高校が、大方の予想を裏切って、広島商業を破った。春夏通じて、甲子園初出場を決めた。思いもよらぬことで、驚天動地のできごとだ。
衝撃的な決勝戦の数日前、ウェブ上でベストエイトに残った学校を見た時、優勝は広陵か広島商業のどちらかになるだろう、と予想した。どちらの学校も野球の上手な子が県内外から集まり、優秀な指導者からハイレベルの指導を受けながら、切磋琢磨している野球名門校だ。並の高校が太刀打ちできる相手ではない、と思った。だから、広島商業を破った市立福山高校は並の高校ではないのではないか、という疑問が湧く。“無名の公立高校”にカテゴライズされるのは当然としても、市立福山高校の強さには何か理由があるのではないか。今回のブログはその探索の記録だ。
準々決勝前日、市立福山高校はベストエイト止まりだろうと思っていた。それだけでも大健闘だ、とさえ思った。ところが、なんと市立福山高校は準決勝に進出した。ニュースで結果を知って、「これはすごいことだ、福山は大騒ぎだ」と思った。つい数年前まで、部員数が足りなくて連合チームを組んでいた公立の学校が、準決勝に進出する。大健闘どころではない、大事件だ。
高校野球は監督次第か、とその時ふと思った。というのも、枝広福山市長が、市立福山高校野球部監督に、迫田守昭さんを招くと発表したことが記憶に残っていた。迫田さんが体調不調で、昨年7月に退任したことも知らずに、僕はてっきり迫田さんが市立福山高校を強くしたのだと思った。迫田さんは2002年春、2004年夏に広島商業の監督として甲子園に出ている。岩本貴裕さん(ガンちゃん・広島カープ)、柳田悠岐さん(ギータ・ソフトバンク)が広島商業の監督時代の教え子にいる。
迫田さんを僕が初めて知ったのは2013年夏の広島大会決勝、広島新庄高校対瀬戸内高校の試合だった。迫田さんは広島新庄高校の監督だった。広島新庄高校の田口麗斗君(巨人→ヤクルト)と、瀬戸内高校の山岡泰介君(オリックス)が息詰まるような投手戦を展開した。延長15回を戦って、0-0の引き分け。すごい試合だった。再試合も0-1の熱戦だった。
2014年夏も広島新庄高校は広島県大会決勝で広陵に負けた。2015年夏は、2年生のサウスポー堀瑞輝投手(のちに日本ハム)を擁して悲願の初優勝、甲子園初出場を決めた。あまり話題になることもなかった県北の学校を、とうとう甲子園に導いた迫田さんの手腕に僕はつくづく感服した。2016年夏も堀投手で連続優勝。この年は甲子園もベスト16までいった。迫田さんは押しも押されぬ広島の名将となった。2020年、広島新庄高校野球部監督を退任された。
2021年8月31日、枝広福山市長の定例記者会見で、迫田さんが市立福山高校野球部監督に就任すること、2021年度補正予算案に2670万円の施設整備費が計上され、市立福山高校に防球ネット、ピッチングマシン等が調えられることが発表された。2022年4月、市立福山高校に迫田さんが満を持して着任、市立福山高校野球部の子たちに、技術的な指導は控え、自分で考えることを強く求めた。2025年7月大会直前、体調不調で退任。志半ばで残念だったろうと推測する。
迫田さんのおかげで市立福山高校野球部の土台が調った。2022年からの3年4カ月で、施設が整備され、野球の上手な子たちが集まって、野球部の底上げがすすんだと思う。
コーチだった長門功さん(28・慶応大学野球部出身)が迫田さんのあと急遽監督を継いだ。長門さんは「甲子園は誰でも行ける場所」と部員たちに熱く語り掛けた。年齢の近い長門さんの言葉に部員たちは深く共鳴した。しかし、2026年3月、「8月に甲子園で会えると信じています」の言葉を残して青森県の弘前学院聖愛高等学校に長門さんは転任、野球部のヘッドコーチに就任した。ちなみに弘前学院聖愛高等学校は、今夏、青森大会決勝で、延長10回、タイブレークの末に青森山田高校に惜敗し、甲子園出場はならなかった。
長門さんの指導のおかげで、甲子園をぐっと身近に感じるようになった部員たちのもとへ、2026年4月、知将の誉れ高い小田浩さんがやってきた。夏の大会までは4カ月弱、状況は厳しかったが、小田さんは「まだ100日ある」と述べられた。練習時間の短い公立高校では「捨てる勇気」がいると語る小田さんらしい名言だ。年に数回もしないような守備のサインプレーの練習なんかしなくていい、と言い放ち、送りバントの練習も時間をとらない。何時間練習しても失敗はする、と達観している。ピンチになっても外野を安易に前進させない。1点もやらない、と考えるより、1点やって複数得点を防ぐことに重点をおく。後半に必ずチャンスはくるから、3点まではとられていい、だから、最小失点でしのいでいくことが大切だ、と。小田さんのこうした考え方がチームに浸透し、広島大会の準決勝、決勝の逆転勝利につながったのだと思う。
小田さんの考え方をリスクマネジメントと呼ぶ人は多い。弱者の戦い方、という人もいる。なるほどなあ、と思いつつ、僕は、小田さんは徹底したリアリストなんだと思う。限られた練習時間、戦力でどう戦うか、極限まで考え抜かれた緻密な思考がはりめぐらされている。それでいて、飾らないユーモアがある。
小田さんも広島商業出身。あの池田高校が蔦監督に率いられ、金属バットで猛打をふるった1982年夏、広島商業は甲子園の決勝で池田高校に12-2と一蹴された。小田さんはそのとき広島商業の二塁手だった。その後、順天堂大学に進学、卒業後、広島県内で教員になり、赴任した広島県立西城農業高等学校で1991年夏、1993年夏に甲子園に出場。。2005年、新設の総合技術高校に赴任。1期生部員3名、草むしりから1年目ははじまった。しかし、創部3年目、2007年の夏には、決勝まで勝ち進み、野村祐輔(広島カープ)、小林誠司(巨人)のバッテリーがいた広陵に、延長11回、4-3で敗れた。この夏、広陵は、甲子園で準優勝だった。
小田さんは、2011年春には総合技術高校を率いて甲子園に出場、その夏で野球から身を引かれた。その後は、教諭、校長として業務に専念、市立福山高校に来る前は、市立呉高校、竹原高校等の校長を勤められていた。
今夏、広島大会準決勝は試合開始からテレビで観戦した。市立福山高校の校歌が流れた。作詞は谷川俊太郎さん。作曲は林光さん。文科省の役人が「そろそろ福山もエリート教育をやりませんか」と言って、市立福山高校に併設中学を作り、120名は中高一貫生として中学から、80名は従来通り高校から募集するようになった2004年、新しく作り直した校歌だ。校歌っぽくない、いい校歌だ。林光さんは、僕が中学生の頃、夢中になったNHKの大河ドラマ「国盗り物語」のテーマ曲を作曲した人だ。意味もなく、「いいぞ」と思った。
もうひとつ、感心したことがあった。市立福山高校のナインは一律丸坊主ではなかった。個人の自由意志に任されていた。とてもいい。丸坊主にしたい生徒はすればいい。自由が一番だ。市立福山の勝ちパターンが長髪の來山君と丸坊主の岩本君の継投というのは絵になる。
さらにもうひとつ、「福山市民を驚かす」、この市立福山高校野球部の大会テーマがいい。パンチがあって、若者らしい自負心にあふれていて、思わず応援したくなる。なんて愉快な連中だ、と思った。
登録選手20名は、みな高校からの外進生だ。中学入試で入った子はいない。そして、全員公立中学卒だけれど、学校の部活動で野球部に入っていた子は5,6名だ。大半の子がクラブチーム出身だ。2年生のサウスポー岩本君はカープジュニア(広島カープの少年野球チーム)の出身で、全国大会も経験している。
2年前、リハビリに通っていた病院の理学療法士さんは、春、小学校4年生の息子が通う少年野球チームをどこにするか、真剣に悩んでいた。息子に最適のクラブチームを見つけるのは簡単ではない、と教えられた。冬、雪の降った日には父兄総出でグラウンド整備をするんです、ハハハ、と、苦笑されていた。そのクラブチーム出身のプロ野球選手が現れると、保護者も子どもも憧れのヒーローに接するように畏敬の眼差しで集まるんです、ハハハ。屈託なく笑う笑顔には、息子の健やかな成長を願う父親の慈しみがあった。たぶん、市立福山高校野球部の少年野球出身の子たちも、小学校4年ぐらいから、家族にバックアップしてもらいながら、野球の技術を磨いて来たのだろう。技術指導はしない、と迫田さんがいったのは、逆に言えばみなそこそこ上手な子たちが集まっていたからではないか、と思う。。
野球部で一番成績の良いエースの來山君は、TV番組のインタビューで、「準々決勝と準決勝の間の休養日に模試を受け、いい気分転換になりました」、と笑いながら言っていた。進学校の生徒らしいウイットに富んだ発言に思わず笑ってしまった。
というわけで、市立福山高校野球部は、ここ数年類まれな指導者に恵まれ、部員ひとりひとりが自分で考えることができるようになっていた。小さいころから野球に親しんできた子たちが、臆せずプレーする開放的なメンタリティをもつようになった。緻密な思考で試合の流れを読み、危機管理に長けた指揮官がいた。
市立福山高校は並の高校ではなく、名門校にも勝てる実力を持った“隠れ実力校”だといってよいのではあるまいか。
甲子園初戦は、8月10日(18:30開始)、相手は強豪天理高校。是非、楽しんでもらいたい。
ひとりの福山市民として、市立福山高校野球部の健闘を祈ります。