今日もノーマン・ロックウェルのあたり、、、

あるミリタリーSFを読んでいたら、危機的状況を打開しようとする主人公が、信仰心をもつことなく危機を乗り越える難しさを吐露する場面があった。SF版"ホーンボロワー"という設定の彼の述懐から、元祖ホーンブロワーが神に祈る場面があったかどうか、神に懺悔する場面があったかどうか、気になったけれど思い出せない。
内省と自虐、自己抑制と含羞の結晶のようなホーンボロワーの人格は、確か信仰と無縁のところにあったように思う。

フィリップ・マーロウが危機を乗り越えるときも、神にすがりはしていない。「タフでなければ生きられない」とうそぶき、自分の好奇心を持て余すことはあっても、跪いて神に祈ったりは絶対するわけがない。カリフォルニアの空に、神の居場所はなかったはずだ。

僕にも信仰心はほとんどない。そして、ホーンブロワーやマーロウの才覚も技量もない。虚構の、無敵の主人公たちとくらべること自体、馬鹿げていて浅はかのきわみではあるけれど、自分の判断を信じて行動する危うさにおののくミリタリーSFの主人公ギアリー大佐に、えらく共感してしまった。息抜きのつもりで読んでいた。仕事の立場を重ねるつもりはなかった。やれやれ。


あとひとつ、どうでもいいこと
昨日もふれた、昔淡路島にあったノーマン・ロックウェル美術館に、ロックウェルが表紙を描いたサタデーイヴニングポスト誌が、ズラッと展示されていた。1930年代の版のとある一冊の表紙に、C・S・FORESTER(ホーンブロワーの作者)の名をみつけて、意味もなくちょっと喜んだことを思い出した。たぶん”HAPPY RETURN”か何か、連載されていたのだと思う。(間違っていたらごめんなさい、今、調べる暇がない)どうも、僕のアナクロな時代感覚は、1930年代にさかのぼるようだ。初めて気づいた。