電話があった

「誠之館高校のH***です」
「はい、お世話になっています」
(やべっ、ブログにごちゃごちゃ書いたことにクレームがついた?)思わず身構えた。

「先日は説明会にお越しいただきありがとうございました」
「あっどうも」
(なんだぁ、やけに丁寧だなぁ」

「実は、傘の忘れ物がたくさんございまして、ひょっとして心当たりがありはしないかと、、」
(ぷはぁ、傘かい、そういえば、傘立ての位置が、入るときと出る時で違ってた。わざわざ引き返して回収した。あんなことしたら、忘れる人がいてもおかしくはないね)
「いえ、おかげさまで、ちゃんと持って帰りました」
「そうですか、どうもすみませんでした。失礼します」
(ひぇー、すっげぇホスピタリティ、高級ホテル並じゃん)
「いえいえ、ありがとうございました」

 という学校説明会後日談があったことをわざわざ載せることもないのだけれど、すこしびっくりした。お電話の主が、実に紳士的で、礼儀正しく慎み深くお話されたことが強く印象に残った。当日参加した塾にひとつずつ電話しているとしたら、途方もない労力だが、彼なら淡々とやりつづけるかもしれない。そう思わせるまじめさがその声にはただよっていた。

 
 先日、授業終了後、残務整理をしていたら、女子中学生がふたり、将来の職業について話していた。
「経済的に安定している職業としての医者には興味がある」
「そうねぇ、なりたいとは思わないけれど、それは言えるわよねぇ」
 ちょっと聞き捨てならない会話だった。ためらわずに横入りした。
「医者に興味がある?ほう、そうかい。じゃぁ、これとこれを読みなさい。で、お医者さんになりなさい。応援するから」
 一冊は、エール出版の合格体験記。「私の医学部合格作戦」本棚の片隅に埃をかぶっていたものをとりだした。実際に医学部を受験するということがどういうことなのか、手っ取り早くわかる。
 もう一冊は、この夏休みに高校生に貸し出していて、先日戻ってきた本。
医学生 (文春文庫)
 医学部に入ってから、医者になるということが、具体的にどういう体験を重ねることなのか、よくわかる。そして考える契機をあたえてくれる。
 「えええぇ、これ読むんですかぁ」
 「ああ、君ならすぐに読めるだろう」
 「ふぅーん」

 三日もしないうちに「医学生」がかえってきた。
 「医者になる気がなくなった、たいへんそう」
 正直な感想だと思った。「そうだね」とだけ、言っておいた。
 逆効果だったのか。そうではない。すこぶる内省的な医者が、自伝的に書いた医学生としての青春のうつろいから、少女は、医者になることの意味を、少しリアルに考えられるようになった。子どもが「死」と「命」を肌で感じて考える経験が乏しくなりつつある現代に、良書に出会って、想像と現実のギャップがすこし埋められたのはよろこばしいことではないか。医者になる、ならないはともかく、職業倫理の希薄な職業観がすこし是正されたのは確かだから。