ついにLEC卒業生から、

 東大生が誕生した。小笠原年宏君が東大理科一類に見事現役合格した手紙がきょう届いた。
 今から6年前、僕は、広大附属福山中学の合格発表掲示板の前で悄然としてたたずんでいた。小笠原年宏君(当時、深津小6年)の番号がなかったのだ。
 あらゆるデータから「絶対大丈夫」と思っていたし、彼の試験直後の感想も、「理科はちょっとあれだったけれど、算数は簡単だった」というものだった。夢にも失敗することがあろうとは思えなかった。にもかかわらず、なかった。彼は、附属一本勝負だったので、その後、東中へと進学し、のんびりした卓球三昧の中学生活を送った、無論、高校から、広大附属福山を受験することは、既定の事実であった。
 いよいよ高校受験も間近に迫った中学三年のときに、お父様のお仕事の都合で、彼の三重県への引越しが決まった。
 「嗚呼、僕は彼に借りをかえせないまま別れるのか」と思った。
 彼は、易々と三重県の公立トップ高に合格した。その後、高1の夏に彼が福山に遊びに来たとき、わざわざ挨拶に来てくれた。ずいぶん成長した、精悍な顔つきに驚きもしたし、喜びもした。
 その後は、これといったコミュニケーションもなく過ぎた。
 そして、手紙が届いた。
 
 トシ! 全文引用するぜ、いいよな。(あいかわらず強引でスマン)

 『どうも先生おひさしぶりです。高1の夏にちょっと顔を出して以来「手紙書きます」とか言っておきながら機会と時間に恵まれず、こんなに経ってしまいましたが、それもこれもすべては先生にこのことを報告したいがためのもでした(←ちょっと言い過ぎ)。それというのは、ななななんと自分はまぐれにラッキーで偶然にも、この度現役で東京大学理科一類合格しちゃいました〜。めでたい、めでたい。
 先生に、お前は競争相手がいれば...といわれつづけて、結局、中学入試、高校入試と不本意な結果になったものの、終わりよければすべてよし、という奴ですね。そして、これを読みながら、先生がかつて聞いたような「うぉー」というメチャデカイ声を出してくれていたら、それこそまさにすべてよしです(笑)。
 実をいうと自分、2年の頃は勉強が完全に中だるみで学校内でも全然パッとしない存在でした。でも、3年になってからは大学で物理の勉強がしたい!と決意し、それこそまさに寿命がちぢむんではないか、というぐらい勉強しちゃいました。受かってから思うことはさまざまですが、人間やればデキるというのが率直な思いです。そして同時に、こんなもんかという思いもあります。夏頃から流行りだした「ドラゴン桜」で東大は簡単だ!とか言ってますが、まあそんな気もします(あくまで受かったからですが・・・)
 まあとりあえず、4月からは東大生として気持ちを新たに頑張っていこうと思います。先生と話したいことはたくさんありますが、それはまた夏休みにでも福山に行こうとおもっているのでそのときゆっくり話ができればと思います。それではお元気で。
                          LECの星 こと 小笠原より』
  
 トシ! ウォーって叫んだよ、絶叫したよ、さめざめと泣いたよ。
 たまらなくすごく幸せな気分になって、家に電話して、妻に話したよ。君のことは、僕らの間でずっと話題になっていたんだ。君の中学入試の失敗は、僕たちにとって、とてもとても大きな事件だったから。そして、僕は「借り」を返せないままでいたから。
 トシ! ありがとう、どれほど僕が嬉しいか、君に伝える言葉が僕には見当たらない。温厚篤実で冷静沈着な君が、「寿命がちぢむんではないか、というぐらい勉強しちゃいました」、と表現する、その言葉の裏にどれほどの思いと行動が詰まっていたか、僕にはなんとなくわかる。山だって動かせたかも知れないな。
 トシ! 夏に再会を楽しみにしているよ。熱烈歓迎する。いろんなことを聞かせてくれ、高校生活のこと、受験勉強のこと、物理をやろうとおもったこと、そして、東大のこと。そして、できれば、LECの子どもたちに語ってやってくれ、「人間やればデキる」ということを。
 トシ! 君をLEC生と呼ぶのは僭越な気もするけれど、でも、「LECの星」には違いない!LEC伝説の中で、燦然と輝いてくれ!そして、後輩たちの輝ける道しるべになってくれ! 
 待ってるぜ!