久しぶりに、大好きなジョン・ル・カレを読んでいると、

ナイロビの蜂(上) (集英社文庫)

ナイロビの蜂(上) (集英社文庫)

ナイロビの蜂(下) (集英社文庫)

ナイロビの蜂(下) (集英社文庫)


 TVで、映画の宣伝をやっているじゃないですか、なんという偶然、映画化されていることすら、僕は知らなかった。で、この作品なんだけれど、”巨匠の最高傑作”とか紹介されているけれど、それはないのじゃないですか。読後感は、「なんだかなぁ」。途中で、結末が予想できて、あぁもぅ絶対に落としどころはこうしかならない、って暗ぁーい気持ちになっていたら、「やっぱりぃ」というラスト。テッサ・クエイルの人物造形がたぶん荒っぽすぎるのだと思う。英国の外務官僚をティピカルに描き出したい気分はわかるけれど、煮詰めきれない中途半端な消化不良を感じた。
 とは言え、アフリカの発展途上国の医療問題を徹底的に啓蒙されたし、先進国の援助活動の実態にも教えられるところが多かった。結局、そうした時事問題のな啓発臭・告発臭がきつくて、冒険小説としての枠組みが滲んでぼやけてしまったように感じられた。いや、現代の冒険小説が必然的に政治小説化してしまうのは避けられない、ということか。
 というより、スマイリー3部作が、僕にとっては圧倒的過ぎるのかもしれない。ベルリンの壁が崩壊する以前、いや、バルト三国すら独立できないでいた頃、東西冷戦構造の狭間で翻弄される人々の哀歓をリアルに感動的につづった人間ドラマの重厚さが、いまだに心の奥底に刻印されていて、ちょっとやそっとじゃ動かせない。だから、「リトルドラマーガール」も、あまり高く評価できなかった。さすがに、ジョージ・スマイリーを真似て、ネクタイでメガネをふいたりすることはやめたけれど。