塾の通勤用に車を買ったのは

 昨年1月。行きつけの床屋さんで、車の購入が話題になった。店主の知り合いに良心的な自動車屋さんがいるという。わたりに舟でお願いすることにした。おおよその依頼条件を述べた後、「でもね、ホントは、ミニ・クーパーに乗りたいんですよ、ガキのときからの憧れで、、、」「えぇ、ホントですか。その車屋って実はミニ専門にやろうかって人で、、、」「ぇええええ!じゃぁ、今の条件で、ぜひ、ミニを」もう、僕がミニに乗るのは、あらかじめさだめられた運命だ、と思った。
 という流れで、実はクーパーじゃぁなくてメイフェアだったのだけれど、ミニはミニ。平成4年式の中古車が納車されたのは、忘れもしない2月8日、広大附属福山中学の合格発表の日。
 塾の駐車場から出るときに、まず、あの段差で激しく底部をこすった。ゴギゴギ。「うゎぁ、被弾したぁ。ダメ・コン急げ!」とか、絶叫しながら、方向指示器を左折にしたら、突然ワイパーが動き出した。「しまったぁ、トヨタの車と逆じゃねぇか、なんだこれぇ」とさらに絶叫しながら、なんとか不二家の交差点までたどりついた。
 そして再び、左折の指示器を出したら、懲りずにまたワイパーが動く。幸い、粉雪も舞うような寒風が吹いているので、見た目には、窓の汚れが気になっているようにも受け取れたはずだけれど、車内では、あわてて呪いの文句を36通りつぶやいて、右レバーを下げてワイパーを止め、左レバーを下げて、方向指示器を点滅させた。
 そこから直線、どうもイメージより走りが重い、まるで重戦車を走らせるような轟音と振動が満ち溢れる。その時は、自分がミニを運転していることにもう有頂天だったので、深く考えることはしなかったのだけれど、あとで気がついた。サイドブレーキを降ろさずにそのまま走っていたのだ。
 それはともかく、ヤークト・ティーゲル並の重々しさで坂を登り、附属のグラウンドに入ろうとして左折の方向指示器をだしたとき、やっぱり動いたのはワイパーで、レバーを切り替えようとしてつられて僕の頭も左右に動いて、ばね人形のように揺れながら、左折してなんとかグラウンドに入った。
 到着したときは、疲労困憊、なんだか、サハラ砂漠に不時着して救助されたときのサン・テグジュペリもかくや、という状態であった。
 風が強く晴れわったってはいたけれど、寒さの厳しい午後だった。
 さて、今年はどんな事件が待っているのか。方向指示器を出しそこねるのは、むしろトヨタの車に乗るときになってしまったから、ミニに乗っている限り、エンジンさえ始動すれば大丈夫。時折、ウインカーが、二倍速で点滅したり、カーステレオの音質がブワブワに割れたりするけれど、走る、曲がる、止まる、ことはできそう。
 ユリシーズと名づけられた大英帝国海軍の軽巡洋艦が撃沈されるまでの、痛ましくも雄雄しい、海の男たちの物語を僕は何度繰り返し読んできたことか。僕が車をユリシーズと名づけたのは、もちろん沈められるためじゃない、ギリシャ神話によっているわけでもない。アリステア・マクリーンの描いた不撓不屈の男たちの物語に深い敬意を表しているから。
 これまで僕はいろいろなものに頼って生きてきた。自立できずにふにゃふにゃしていたとき、能力を越えた問題に翻弄されていたとき、すがるような思いで頼ったものがたくさんあるけれど、この物語には実にいろいろな局面で助けられたように思う。
 冬になり、凍てつく空気を身近に感じると、「女王陛下のユリシーズ号」を思い出す。
 映画化されてもいいのになぁ。でも女性は一人も出てこないし、場面はほとんどどんより曇った北の海だけだし、次から次に輸送船を沈められ、判断を誤って逆襲に出て返り討ちにあって、、、とにかく、始めから終わりまで徹底的にやられる一方だから、映画にはならないか。

 明日から12月。今、一度、あたえられた責務を新たな気持ちで全うしたい。
女王陛下のユリシーズ号 (ハヤカワ文庫 NV (7))