ついに起床時間が7:40にまでずれこんだ。ニャロメ!まずいぞ、遅れるぞ、と猛然とダッシュ。金曜日は「プラスチックゴミ」の日。バタバタと着替え、ガシャガシャとゴミを出し、出発。塾に着くと、時間割を間違えてやってきた中学1年生。彼は昨日も間違っていた。
 「?」である。時間割変更を決定したとき、彼はいなかったか、いや、あの日は全員いた。しかし、一般的に、同じように連絡を聞いても、10人に一人は必ず聞き間違えていたり、聞き漏らしている。だから、その場で念のために再確認しなかった僕のミスだ。ちゃんと手順をふんで、メモをとらせ、メモを読ませ、一度復唱させておけば済んだことだ。
 それをしないまま、一方的伝達で終わりにした。僕の感覚と彼の感覚とは異なる。「僕は何度も言った」と思う。「彼は、なんか言っていた」としか思わない。そのズレを埋める責任は、こちら側にある。それだけの話。
 くやしいのは、そんなあたりまえのことを、昨日やっておけば、きょうの彼の行動は防ぐことができた、ということだ。つまり、二重に配慮を欠いた。どうも、後手後手にまわる。もっともマヌケな振る舞いをしているのは、この僕だ。
 「ハインリッヒの法則」通り、こうしたミスの背後には、恐ろしくたくさんの過失があるのだろう。想像するだけで腰が抜ける。知らないふりをしてやり過ごすのもひとつの手かもしれないけれど、ふつう、それはできない。改善・改良を求めるのが人としてまっとうな振る舞いであろう。完璧を求めたら、しかし、アウト。できっこない。超高圧ストレスにさらされて、神経が参る。ベストを尽くせる範囲内でベストをつくす。守備範囲は明確にしておく必要があるけれど、その線引きが難しい。知らず知らず、自分に都合のよいイビツな形になっている。気づいたときに直すしかない。イビツにならないように気をつけるしかない。それが傲慢な塾屋の自滅を回避する最大の方法だろう。