入梅すると晴れる、の法則

さわやかな夏っぽい午後、大門高校で学校説明会があった。高3は年間13回の模擬試験は多すぎるのでは、という意見があった。もっともだね、と思ったけれど、学校側としては学習量を確保するための措置という位置づけらしい。全体として理念的には賛同できるお話が多かったし、場慣れした説明も上手だったけれど、実際の受験指導ってことになるとなぁ、足腰弱いんじゃないかって思う部分が多い。320名近くの卒業生がいて、国公立大学の合格者が80数名ってちょっとさびしくないか。まぁ、年々数字がアップしているのはいいことだけれど。最後に、校長先生が、家庭の教育力が低下していることに触れられていて、ああ本音だねぇ、苦労してるのね、思い通りにいかないことが多いんでしょう、と思ったけれど、公立中学のことを考えれば、まだ、大門高校はいいんじゃないの、と、つい思ってしまったことであった。

大門高校の帰り、ブック・オフに寄った。著作権者に悪いからあまり利用はしないようにしているんだけれど、昔の人だから、、、と、中島敦の「山月記」が欲しくて行ってみた。半ば予想通りなかった。昭和前期の純文学作品があるわけないよなぁ、と納得。蔵王のK文社で購入。これは娘がからむ話。
昨晩、帰宅すると娘が待ち構えていて、お気に入りデュオの新譜(6月25日発売CD)の販売促進用ミュージック・ヴィデオをネットで見ない?と誘う。いつもはそっけなく断るのだけれど、常ならぬ熱い勢いに押されてOKしてしまう。ヘッドフォン?いらない、え、音がぜんぜん違う?はいはい、貸してください。ほーなるほど。えっつけ方がちがう?聴こえるからいい、という流れでお付き合いすることになった。なんでも「業界騒然」の作品なんだそうな。見終わったあと、よくできている、なかなかよかったね、と言うと、娘は欣喜雀躍、僕が珍しく辛口の批評を控えたので、午前零時をまわっているというのに座が一気に盛り上がった。僕もいつもはダイエットを気にして一缶でやめるビールを勢いで三つも飲んで、「彼女の作品は確かに時代とシンクロした詞にはなっているけれどぉ」と、まるでリビングが学生街の居酒屋と化し、宴会モードに突入してしまった。夜に弱い妻は呆れ果ててリタイア。二人して音楽談義がひと段落したあと、現代国語の授業で中島敦の「山月記」を扱っているのだけれど、という話になった。
「確か『虎』がでてくるんだよな、『虎』に変身したんだっけ。圧倒的な絶望感が横溢する切ない話だったような記憶があるよ。もう30年以上も前だよ、読んだのは。でも、名作だったことは覚えている。なんか歯切れのよい文体だった」で、今夜、作品を解題しろ、とのたまう。なんでも教育実習生の授業が腑に落ちないらしい。分詞構文の説明が誤っていることは、話を聞けばすぐに指摘できたし訂正もしてやれたけれど、「山月記」を読まずに語れるほど記憶力はよくない。で、塾についてすぐに読みました。シンプルな構成じゃんか。さて、今夜も宴会になるのかしら、素面でしゃべるのはしんどいなぁ。