夏を前にして

集中力次第なんだよなぁ、とつくづく思う。生徒と1対1で語りかけるようにゆっくりと話してやれば、まず、ふつうのことは誰でも理解できる。それが、一斉授業になると極端に理解力が落ちるのは、集団の中で発揮しなければならない個の集中力が逓減してしまうからだろう。
主体性の問題といってもよいかもしれない。主体性の強い子は、たとえ集団の中にあっても、授業空間で第三者の立場におかれていても、当事者意識を失わず、しっかりと聞き、ちゃんと見て、自ら考えることができる。
当事者意識を全員にもたせつつ、一斉授業をいかにすすめるか、というのが、たぶん、塾屋の腕の見せ所なのだろう。ひきつけるタイミング、考えさせる言葉、記憶させる工夫、複数の生徒との絡み合いの中で、ゴール目指して流れるような美しいパスワークを駆使できれば、誰もが主体性をもって授業に参加するだろう。
もちろん、これは塾屋の妄想。実際は、もっと泥臭く、行きつ戻りつ、倒れ倒され、戦術なきどつきあいに近いところでやっている。
元をただせば、局面の戦術ではなくて、戦略的な部分、動機付けが集中力のもっとも大きな要因であろう、と思う。戦術的勝利をいくら積み重ねても、戦略的勝利には結びつかない。あたりまえのことだ。
あたりまえのことをあたりまえのように悩む、夏をまえにした夜。