村上の備忘録からランダムに。

生徒が持っているものは引き出せる。生徒がもっていないものを引き出すことはできない。塾屋に課せられた使命は、生徒が何を持っているか正しく認識し、生徒が意欲的に自分の能力を向上するように導くこと。

「俺が教えれば必ず伸びる」と思って指導すると必ず失敗する。「俺が教えたら失敗するかもしれない」と思っていたら、細心の注意を払うから生徒が失敗する確率は低くなる。

第一志望に合格させることのできた生徒数と、不合格にしてしまった生徒数では、不合格者数の方が多い。合格実績を誇る前に不合格になった子たちのことをひとりひとり考えること。

指導に迷う塾屋より、迷いなく指導する塾屋に教えられた方が生徒は伸びるか、そうとは限らない。そうとは限らないが、誰しも迷う塾屋に教わりたいとは思わない。

何を質問してよいかわからない生徒にむかって、「何か質問は」といったところで無意味だ。

何をどう読みとるべきか、トレーニングを積んでいない小学生に、「読めばわかるでしょ」と言っても不毛な結果しか招かない。

塾屋が生徒に「分かった気になるな」と言うなら、自分自身には「教えた気になるな」と言うべきだ。

「がんばっていればいいことがある」と言うなら、どんないいことがあるのか、きちんと説明しなければ卑怯だ。

「親の顔色をみて勉強するな」と生徒に言うのなら、「保護者の顔色をみて生徒を指導するな」と自分自身には言うべきだ。

努力することも才能のひとつであって、努力したくでも努力できない性格・気質を属性とする子もいる。そうした子に「努力しろ」と言うのは、ニワトリに空を飛べというに等しい。

生徒に「がんばれ」と言う前に、何をいつまでにどうやるか、きちんとしたプランを語れ。

同じ教材を反復トレーニングする重要性は誰だって知っている。しかし、実行する生徒は少ない。

生徒ができないのは、教え方が下手だったからか、できるようになるまで粘り強く導かなかったからか、どちらかだ。上手に教えて、さらに生徒が自信をもつまで根気よく導いてはじめて生徒はできるようになる。

生徒が「完璧にわかりました」と言うときは8割の達成度。「だいたいわかりました」と言うときは5割の達成度。「なんとなくわかりました」と言うときは、達成度0。

数少ない文房具を丁寧に扱える生徒は必ずできるようになる。逆もまた真なり。