「明日は卒業式だ」

 ある小学校の生徒が、少し感傷的に言った。登校班のメンバーが減るらしい。たかが小学校の卒業式くらいで、とも、思ったけれど、この子にとっては切実な問題なのだろう。ただ、子どもの感傷は、一瞬で消え、実にあっさり次の次元に進むのも確かな話で、そこが大人と違う。いや、そうでもなければ、どんどん成長していけるはずもないだろう。忘却する量と速度が大きければ大きいほど、彼らの成長はよりはやく、より力強くなる、と言えそうな気がする。つまり、忘却を加速する新鮮で刺激的な体験がたくさんあればあるほど、子どもらはどんどん成長する、と言えば、理にかなっている。大人が忘却をむしろ恐れているのは、新しい体験を受容する心の余裕を失っているからか。人生が思い出の総量できまるのではなく、主体的な営みの強さできまるのであれば、人は何を忘れても恐れることはないはずなのだが、、、

 きょうは、辛いことがあって、ぐじゅぐじゅ意味もないことを書いてしまった。
 
 新しい旅立ちを始める教え子らに、どうか、ありったけの幸運がおとずれますように。