「明日は遠足だ」

 と、きれいな夕焼けを見ながら、嬉しそうに小5の女の子が弾むように言った。日頃、生意気な発言をすることの多い子だったので、へぇー、すこぶる健全だなぁ、と感じ入った。
 中2の授業中にも、「明日は遠足だぁ」と、何の脈絡もなくなく叫び、楽しそうにニコニコしている元気娘がいた。たぶん、行く先々で、その騒々しいエネルギーの放出が顰蹙を買うことは間違いないから、どうか「遠足だからしかたない」と人々が大目にみてくれることを、彼女に代わって祈りたい。
 子どもらにとって、遠足が無条件に胸躍るものではないことは、十分想像できる。できれば、ごくふつうに教室で授業をしてくれた方が色々気が楽な子も中にはいるだろう。ひょっとして明日の遠足を考えただけで、心が暗くなる子もいるかもしれない。理由はさまざまだろうけれど、拒否したい気分の子がいても理解はできる。周囲に同調できず、自分の世界からなかなか踏み出せないタイプの子は、今も昔も必ずいる。
 しかし、無邪気に喜び、前の日からワクワクしている子たちに接していると、こちらまでごく自然に温かい気持ちになる。できれば、そうした子どもの無邪気さを守ってやりたい、とすら、お節介にも思う。
 というのも、幸か不幸かたまたま僕は子どもの頃遠足が好きだった、狭い因島の山の中をウロウロ歩き回るレベルから、船に乗ってよその島まで出かけていくレベルまで、どの遠足も楽しかった。楽しい思い出が一杯ある。だから、LECの子どもらにもそうした体験がたくさんあればいいなぁ、と願っている。様式化された固定観念にどっぷりつかっている面もあるだろうけれど、「遠足」の前の晩のときめきは、人が人生において手にできる数少ない宝物のひとつであるように思う。