「ハイスクールミュージカル」(ディズニー)を

 先日NHK・BSの再放送(?)で見た。前半四分の一あたり、途中からだったけれど、三分くらいでストーリー展開が読めてしまって、あとは「水戸黄門」と同レベルの安心筋書き予定調和。随所に70年代風の「ノリ」を感じるものの、同じジャンル(学園ミュージカル系)の、「フェーム」にあったような社会派的な発想がすっぽり抜け落ちていたし、群像劇からはほど遠く、打破すべき親子の葛藤も淡白で、どうも違う。徹頭徹尾さわやかな男の子とかわいい女の子のラブ・ストーリーしか描かれていないところが、実に少女マンガ的。ひょっとしたらそこが「新しい」のかしら、と思いなおしつつ、連休中でもあったし、まぁかたいこと言わないで、親子で楽しむにはこれでいいやと思った。
 本編が終わった後の、付録映像、ダンスレッスンのパートワン・パートツーを、気分だけはノリノリで眺めながら(とても真似して踊ることはできないから)、ああこのふたつのダンスは最近のものだ、と、何の根拠もなく思った。で、クレジットタイトルで、2006年制作。新しいどころじゃない、できたばっか。ディズニーと聞いてさらに納得。

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  あのダンス・ミュージック(みんながヒーロー、団結していこう、って感じの)の歌詞は、まさにイラク戦争で分断されたアメリカ社会を再統合しようとするメッセージそのもので、共和党大会で合唱されてもおかしくないよね(ウォルト・ディズニーは政治的にはゴリゴリの保守主義者だった)。なんて感想は、ひとり胸の奥にしまっておいた。ダンスを見ながら口にする感想ではない、と思ったから。
 しかし、歌は世につれ、世は歌につれ、という。あるいは、十八史略に、都の童子の童歌が王朝交代を予言するエピソードはたくさんある。つまり、非政治的歌謡が、政治的にシンボリックな働きをしている歴史的体験(?)を味わった気分だった。連休中、暇で脳みそがおかしくなっていたんじゃないの、という突っ込みも受けそうだけれど、まぁ、いっぺん聞いてみてください。納得してもらえる、と思う。
 そしてまた、こういうダンスシーンは、たぶん、これから日本のあっちこっちの学校の学園祭でコピーされていくだろうなぁ、この映画、絶対シリーズ化するぞ、とも確信した。
 そして、あにはからんや、なんと、きょう、広大附属福山の運動会で、応援団のエンディングパフォーマンスの中で、そのダンスがふたつともきれいに演じられていた。日本の高校生がやるとしたら、、、と、TVを見たときに想像していた以上に完成度の高い、上手なダンスだった。まさか、ね、はやばやと福山で直接目にするとはさすがに思わなかった。
 いや、応援団の演技には、他にも僕の胸にダイレクトに訴える感動的な演技があって、「絆」をテーマに彼らが語る熱い想いは、素朴であるがゆえにいへん力強かった。ひねくれたひとりのオヤジが圧倒されるほど、すばらしく健全で建設的だった。それは、また、いつか日をあらためて書きたい。
 とにかく、ダンスの話。
 たぶん、3・3・7拍子の空手演舞やフレーフレーのシュプレヒコールといった、いささか伝統的な応援形式とミックスされたカタチで見たから、ハイスクールミュージカルのダンスの新鮮さが際立ったのかもしれない。そのコントラストの妙をうまく伝えるのはとても難しいのだけれど、前近代と現代を瞬時に同時体験するスリル、日本的文化様式とアメリカ的文化様式を並列体験する興奮、とでも言うべきかしら。ただ、映画をみていなかったら、そんなに感動しなかったかもしれない、それは否定できない。
 いずれにしても、刺激的な運動会でした。
 というのも、もうひとつ、蛇足までに付記。
 噂どおり、運動会は、最初から、最後まで、生徒たちによってすべて運営され、教師が指示、命令を下す場面はただの一度もなく、自主・自立という教育理念が見事に顕現していた。イベント進行にもっと効率や能率を求める人もいるかもしれないけれど、生産性の向上は工場でやればいい。学校が教育工場になる必要はない、まして軍隊式の上意下達で中高一貫校の運動会が運営されるなんて間違っている。その点で意見が一致する家人と帰る道すがら、「見ていてすこぶる気持ちのいい運動会だった」と何度も口にし、「よかったね」とうなずきあった。
 
 ありがとう、生徒の皆さん、とてもよい運動会でした。たいへん楽しませていただきました。
 そして、応援団の皆さん、すばらしいパフォーマンスでした。
 皆さんの未来がいっそう光り輝かんことを。