塾内では

 いろいろ記念日ができる。その日、その日のエポックメーキングな出来事に事寄せてでっち上げるといっても良い。かの有名な「サラダ記念日」の剽窃である。
 
 小6の算数の時間、「割合」の問題の答えあわせをやっていた。一番前の席から一番うしろの席に移動させられた生徒が指名された。すると、鮮やかに彼が解答する!「割合」といっても基本問題だし、実は初見の問題ですらない。だから、正解を出して当然だし、不正解だったら只事ではなくっただろう。おそらくLECに入塾したことを深く後悔するほど、厳しい譴責をうけることを覚悟しなければならなかったであろう。彼以外の生徒であれば、「ピンポーン、よろしい、式は?」で終わったはずのやさしい問題だった。
 それがどうして、「記念日」になってしまうのか。
 話は簡単。彼がLEC入塾後、初めて宿題の正解をスパッと答えたから。
 彼は宿題忘れの常習犯、授業中に自分の世界に入って、ボーっとする空想癖が異常に強い。整理整頓が苦手。家は出たけれど塾に着かなかったことも、はじめの頃は多かった。忘れ物も多かった。その他、色々。
 そもそも口下手な子で、言葉よりも表情で語ろうとすることが格段に多い。だから、
 「ごめん、表情でしゃべるなよ。首をかしげて困った顔つきをするな。僕は君のおかあさんでもおばあちゃんでもない。言葉しかうけつけないぜ、分かってもらいたかったら、はっきり言葉に出すんだよ。」

 「なにをためらっているんだ。まちがうことがそんなに怖いのか。こんな問題で躊躇してどうする気だ。周りの人間がどう思う。あいつはあんな簡単な問題すら答えられないんだって思うぜ。お前はすごく豊かな才能を持ってる。だから、こんな問題でびくつくな、お前に才能があることをみんなに見せつけてやれ。なめるんじゃない、俺はできるんだって言ってやれ。大丈夫、僕が保証する。お前には才能がある。」

 「あのね、ひょっとするとこの世の中で、僕が一番高く君を評価してるのかもしれないんだぜ。だけど、君は分かっていない。その僕が言うとおりやってれば、君は必ず伸びるのに、君はやってこない。こんな腐ったノートを作ってちゃだめだ、いいかい、教科ごとにノートは一冊ずつちゃんと作るの。板書はきれいにするの。罫線を無視しないの。一行ずつあけて書くの。数字ははっきり書くの。わかった?僕の言うとおりやってれば、ぜったいできるようになるから。僕はこの仕事をもう二十七年もやってるの。君がどうすれば伸びるか、たぶん、誰よりもよく把握してる、と思う。だから、僕を信じなさい。」

 「消しゴムで遊ぶなよ。幼稚園児と一緒じゃないか。消しゴムに指先の脂がつくだろ、そうしたら消したときノートが黒くなるだろ、お前のノート汚いだろう、消した後がみっともないじゃない。だから、意味もなくさわっちゃだめだよ。」

 「バカヤロー!なんで宿題やってこないんだ。やってこなかったら残されるだろう。わかっててどうしてやってこない。あいつは宿題ひとつできない情けない奴だって、みんなに思われたいか、それで君は平気か。そうじゃないだろう。いいかい、みんなの見る目を変えたければ、君が変わるしかない。君が今までとは違う君になるしかないの。さんざんチャンスは与えてきた。それを踏みにじってきたのは君だ。いいかい、どんな人間関係も信頼関係がなくなったらおしまいだ。君はそれがわかっていない。家族は君をどんなことがあっても受け入れるだろう。君の母さんは、君がどんなことをしでかしても守ってくれるよ。母親ってのはそういうものだ。だけど、僕は違うぜ。君が信頼関係をぶち壊すなら、僕も君が授業を受ける権利を奪うぜ。少なくとも、君が一番前に座っている権利なんかあるもんか。ここはもっとまじめに頑張っている奴が座るべきだ。おい、M君ここへ来い、君は、一番後ろのあの席だ、さっさと移動しろ。」

 という指導(記憶にしたがって再生すると、ほとんど恫喝ですな)を受け続けた彼が、スパッと正解を出したことを記念して、彼の名前を入れた記念日になった。そして、クラス全員で拍手し讃えた。

 あたりまえのことをあたりまえにやることを教える、たぶん、塾屋の仕事なんてそんなものだ。