「怒ってもいいけれど、愛のない怒り方は許せない」

 という言葉を最近かみ締めることが多い。生徒をビシバシ怒るとき、省みて、たんなる人格攻撃にすぎない怒り方をしていなかったかどうか、成長を願う愛情が欠落し、ネガティブな感情の鬱憤晴らしになっていなかったかどうか。
 いくら生徒の達成度を通して塾屋が評価されるからといって、生徒=評価手段ではあるまい。生徒はともに学ぶ連帯者であるという認識を失い、共有する学習空間に喜びや楽しみがなければ、服従と隷属の強要が教えることの基本原理になってしまう。同意と信頼に基づく主体的な営みがないところに、生徒の真の成長はない。
 と、いつまでたっても甘っちょろい書生論を掲げるところにLECのあり方がある。