昨日、書こうと思ったこと。

 昨日、早朝、福山駅で娘は東京へ旅立つ友人を見送った。才能にあふれ、ふさわしい努力を積んできた子が、自分の明確な目標をはっきりと認識し、チャレンジするために上京する。僕はいつも娘を通して話を聞いていただけで面識はない。文化祭のミュージカルで、ひときわ異彩を放ち、圧倒的に会場を支配するオーラを身につけている彼女を観て、感嘆したことはある。確かに図抜けていた。
 高校をやめ、プロの道へ進む。そのハイリスクな選択に躊躇しない大人はいないだろう。若さを特権として行使できるものだけが、ためらいもなく飛び込んでいける。小学校のときからずっと地道に厳しいお稽古をいくつも続け、全国レベルで表彰されたこともある経緯を知っていても、生き急ぐように疾走していく姿に、不安を感じてしまう。
 歌手になる、と言って、高校卒業後、上京した教え子がいる。ダンサーになる、と言って、やはり高校卒業度、上京した教え子もいる。しかし、いままで僕の視野に高校を中退してまで、自分の好きな道に賭ける子はいなかった。でも、いてもいいはずだ。いや、もっといてもおかしくないのかもしれない。たった一度の人生を、自分の納得するように生きたい、と考えるのは、自我に目覚めた人間ならば、当然もつべき発想であろう。「もっとも憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」と言ったのはセルバンテスだ。
 夢のために人生を賭けようとする若者に、「いや、待て、もっと現実的に物事を考えろ」、と分別くさく説教する前に、「やるだけやってごらん、そうすれば道はかならずひらけるよ」、と言ってやりたい。
 とは言え、ご両親の心中やいかに、この夏、話が急転直下、一気に具体化した事情を知るだけに、察するに余りある。
 福山から、ひとり、自分の夢を追って大きく羽ばたこうとして旅立った彼女に幸多かれ!