昨年末、講習の三日目あたりから

 ずっと「美空ひばり」ばかり聴いていた。とりわけ「柔」をリピートにかけていた。「勝〜つとぉ、思うぉぉなぁ〜、思えばぁ負けよぉぉ〜、負〜け〜ぇてぇ、もともとぉ〜、、、」とハンドルを握りながら、毎晩車の中で歌っていた。追い詰められた塾屋の心境にジャストフィットした曲は他に、「人生一路」「愛燦燦」「川の流れのように」。ふとしたきっかけで、それを家族に話すと、妻からも娘からも「オッサンの趣味」は理解できないとののしられた。「オッサン」であることは自明の理であるし、音楽の趣味は人それぞれで、誰が何を聴いていようと勝手だとしか思わないから、いかに中傷されようとスルーした。カッコ悪い親父で申し訳ない、と姿勢を低くするつもりもないし、「いいものはいい」と反論する気もない。「美空ひばり」を話題にした僕のミスだとも思わない。黙っていてもよかったけれど、家庭内で、音楽の趣味は情報を発信することに意味があるのであって理解を求めるものでは、たぶん、ない。趣味が共有できるときもあるし、できないときもある。それぐらいでちょうどいい。
 その後、見かねた妻から、オリビア・ニュートンジョンのベストを渡された。いつだったか、「買おうかな」と口にしたことはあった。「美空ひばり」ばかり聴いている夫より、せめて「オリビア」を聴く夫を選択したくなる気持ちも理解できないことはない。そういうわけで、2008年のファースト・リスニングは、「オリビア」になった。
 ところが、リビングにあったラジカセは、もともと娘が小学校の頃に使っていた中国製のチープなもので、ドルビーの商標はついていてもロゴだけ。「ひでぇ、音質だぜ」と思いつつ我慢して聞いているところへ入ってきた娘が「これってラジオ(AM)?」と言ったので、深くうなずいて「いや。でもとてもCDだとは思えないよね」と同意した。おせち料理を食べながら聴いていたけれど、ほどなく消された。無理もなかった。CDをラジカセから出す気もついでに失せた。
 たぶん、まだしばらく、僕は「美空ひばり」を聴きながら車を運転するだろう。