もうあと30分

日曜の夜が静かにふけてゆく。中3と高校生が静かに机に向かう。僕はリクエストされたプリントの印刷とCDの焼き増し。
明日は、因島に行く。80歳になる父が、このゴールデンウィークに接触事故を起こしたことをきっかけに車の運転をやめた。「止まろうと思って、ブレーキを踏んでいたつもりだったんだが、同時にアクセルも踏んでいたらしい。止まらずに右前部を擦ってしまった。このままじゃ大変なことになるから、もう車の運転はやめる。きょうはその記念日だ」というわけのわからない電話をもらった時、さて、日常生活に支障はきたさないのであろうか、と内心思った。脳卒中で倒れ、ひどい火傷を負い、腎臓癌の摘出手術も受けた父は要支援2、肝臓癌と肺癌の摘出手術を延べ三回受けた母は要介護2、の二人暮らしだ。母に免許はない。近くに親戚がいるわけでもない。まぁ何か考えがあるのだろう、と思って、「ははは、そうですか」と軽く流しておいた。突っ込んだ話をして深刻になるのが、正直いやだった。基本的に両親はほっておくのが一番、自由に生きてくれ、と考えてきたし、そういう付き合い方をしてきた。そしてそれから一週間後、父から電話があった。「自転車を買って乗ろうと思ったら、転んだ。もう自転車には乗れない」そりゃそうでしょう。車の運転もできない人間が、タイヤが二つしかない自転車に乗ればどうなるかあきらかでしょう、と、思ったけれど、「ははは、たいした怪我でなくてよかったです」と努めてあかるくかわした。「歩行器を使って生協まで行ったら、往復三時間かかった、それで自転車に乗ろうと思ったのだがね」という顛末を聞いて、やっと愕然とした。生協までは、普通に歩けば10分ぐらい。買い物をして往復しても30分かかるかかからないか、、、。「脚が弱ってね、車に乗っていたから気がつかなかった」おいおい、なんだそれ。めったに会わない人だし、お互い必要がないと連絡は取らないし、、、と親不孝をしてきたことを少しばかり悔いた。と言いつつ、忙しさにかまけて、またほっておいた。すると今度は両親のケア・マネージャーから連絡があり、会いたい、と言う。いよいよこれは、我が家の高齢者問題が紛糾か、と腹をくくって因島を訪ねた。結論的には、もっと利用できる介護サービスがあるのだから、利用したほうがよい、というアドバイスと電動車椅子の購入問題で終わり、息子の道義的責任や扶養義務の問題が公然と語られることはなかった。率直に言ってほっとした。
それから一度様子をみに因島に帰ると、待ってましたとばかりに、郵便局へ行き、役所へ行き、ホームセンターへ行き、銀行へ行き、、、MINIに両親を乗せてミズスマシのように因島市内をグルグルと走った。たぶん、明日もこまねずみのようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりするのであろう。お天気のよかったこの前は、行きも帰りもセリーヌ・ディオンを聴きながら、のんびりと走った。いいドライブだった。明日は雨だ、エラ・フィッツジェラルドにしよう。