祝 阪大合格!

ということで、高3S嬢がめでたく第一志望に合格。
今朝、パソコンで合格を確認したあと、すぐに大阪に向かい、アパートを決めてきた由。「静かないいところがありました」
彼女に出会ったのは、ちょうど3年前、公立高校の発表のあとの3月中旬、入塾試験の結果を見て「附属は受験したの?」と尋ねたところ、あっさり否定されて、ちょっと驚いたことを覚えている。
誠之館入学以後、メキメキ頭角を現して、高1で、英検準2級、2級ととんとん拍子にクリアした。教えたことがスポンジにしみこむ水のように吸収されていくようだった。
その頃は美大志望だったので、高1の冬には、大阪の美大専門予備校の冬期講習を受けたりしていた。だから、高2の科目選択時、彼女は学校で美大受験には不要な数Bを選択しなかった。ただ、数学は好きな教科だったし、才能も際立っていたので、塾の授業では数Bも受講していた。そんな彼女だったけれど、高2の3学期、一大決心をして進路選択を変更し、美大(油絵)志望から美術館の学芸員、もしくは美術関係の研究者を志す方向に舵を切った。目標は大阪大学文学部。数学の科目選択のハンディを補って余りある総合力の良さで、校内では文系トップクラスの成績を維持していた。
「勉強は好き、ひとりでできることは何でも好き」という彼女独特の性向は、華奢な体に秘められた強靭な意志、透徹した自我のあらわれであったと思う。センター試験、私大入試、どの場合にも「ぜんぜん緊張しない」という彼女ではあったけれど、2月上旬、ちょっとした体の異変を訴えた。
「それって受験のプレッシャーじゃないの」
「そうかなぁ、そんなプレッシャーなんて感じてないけれど、、、」
と、言いつつ、同志社に合格したとたん異変がおさまった。
「ほらぁ、やっぱりそうでしょう」
「ぜんぜん自覚がないんですけど、うふふ」
「自己認識力不足だと思います。無意識下で、自分が抑圧されていることを正しく認識する必要がある」
と、塾屋の塾屋っぽい突っ込みをうけることもあった。
恬淡として動ずることなく、最後まで謙虚に励みつつ、合格しても私大には一切手続きせず、不動の信念で第一志望突破をなしとげた彼女に、僕は心から敬意と賞賛の気持ちを表したい。
また、「自分の人生ですから、自分の納得するように生きるのが一番です」と、高校1年のときから、常に彼女に100%の信頼を寄せ、あらゆる選択と行動を彼女に任せたご両親に、ひとりの親として学ぶことはたいへん多かった。懇談でお話をうかがえばうかがうほと、ただ僕が感心するばかり、という見事な親子関係を築かれていた。
Sさん、おめでとう。素敵な絵を一杯描いて、おいしいお菓子をいっぱい作って、のんびりしてください。きょうは渡す暇がなかったけれど、また、今度来てくれた時には、面白い本を紹介します。
たぶん、大学受験なんて君にはちょっとしたハードルにすぎず、君が全力で取り組むべき課題は、大学に入ってから、自分で見つけることになるのでしょう。この3年間がそうした厳しい未来への土台になればよいなぁと思っています。
幸多かれと祈ります。
きょうまでどうもありがとう。