運動会

娘の運動会に行ってきた。
おかげで両腕も顔も真っ赤に日焼けした。
朝、学校に向かう車の中で妻が「これで娘の運動会も終わりかぁ」と淋しそうに言う。「そうね、幼稚園からはじまって15回、皆勤賞だったね。あとイベントを共有できるものは、学校関係は卒業式と入学式ぐらい?」と受けた。非学校関係にしたって、「結婚式」は怪しい。勝手に自分たちですませてしまうのではないか、とひそかに疑っている。「葬式」へのかかわり方は考慮されてよいのだけれど、場にふさわし話題ではないので、敢えて避けた。車を運転しながら、感傷的になっている妻に少し同情した。これまでずっとどれだけ一生懸命かかわってきたか、よく知っているから。塾をやっている関係で、娘の運動会は必ず夫婦で出かけてきた。それもきょうで終わった。

例によって、応援団のエンディング、マーチング・フラッグのBGMに”LET IT BE”がかかった瞬間、涙腺がゆるんだ。パブロフの犬と同じレベルで生きているらしい。あのフラッグの規則正しく空を切る音とビートルズの名曲が重なると、スイッチがはいる。意味はない、止められない、とにかく熱くなってしまう、でも、それもきょうで終わり。たぶん、おそらく、二度と体験することはないだろう。

今年の応援団は、ダンスの技術的な完成度はともかく、みんな実に楽しそうだった。ひとりひとりが実にイキイキと躍動していた。やりたくてやりたくてたまらないことができるよろこびが弾けていた。ふだん、ともすると、お行儀よくそつなく地味に振舞っている姿をイメージしてしまうことが多いけれど、きょうのダイナミックなダンスでそうした印象が、実は彼らのほんの断片を映しているにすぎないことがよくわかった。頭では理解していたつもりでも、実際、目の当たりにすると、心の底から揺さぶられた。いいダンスだった、いい顔をしていた、感動した。娘は友人たちに恵まれている、と素直に思った。

運動会の運営はあいかわらず、時にもたつきつつ、ゆるく流れていたけれど、生徒たち自身が采配しているさまが心地よく、時間がどんどん消費され、塾の授業時間に抵触する危機的状況も生じたけれど、鷹揚に受け止めている自分がいた。失敗や錯誤のもたらす混乱なかでしか学べない貴重な経験をしている生徒たちを積極的に擁護してやりたい気分になったのは、運営にかかわる生徒たちが、ひたむきに責任を果たそうとしていることが、ひしひしと伝わってきたからだ、と思う。朝礼台の周辺で走り回っていた君たち、お見事でした。

日焼けあとのヒリヒリ感にさいなまされながら、今夜はぐっすり熟睡することだろう。
司馬遼太郎氏が、日本の子どもらに期待した「五月の高々と晴れ上がった空のような心」を、今日は見た。