今さらながら

小6の子どもたちに、2001年9月11日の事件を説明した。お馬鹿な村上は、子どもらが、子どもらなりに事件の概要を知っているものだと思って語り始めたが、、、彼らが4歳の頃の出来事をちゃんと覚えているはずがないではないか!
2001年の事件は、彼らにとってすでに歴史であって、解説と解釈を求めるべき出来事になっている。彼らにとって、大日本帝国海軍がパールハーバーを攻撃したことと、テロリストが旅客機をハイジャックし世界貿易センタービルに突入したことは、まったく同じ平面上にあって、ひょっとすると、ずるずるべったりと明治維新や大化の改新までなんの起伏もなく滑らかにつながっているのかもしれない。
村上が同時代的に体験した臨場感をまだ失っていないために、歴史として語ることをためらわれるような事柄が、子どもらには暗記するべき出来事として課せられてゆく。
何かの折、「日中平和友好条約の締結を知らせるニュース速報を見た瞬間を今でも覚えているよ。埼玉の志木の定食屋で晩飯食ってた。殺伐とした浪人生活の真っ只中で、たいしてうまくもない料理を食べながら、俺には関係のないところで世界が動いているって、ひねくれ者特有の疎外感を感じていた」と娘に言うと、「卑怯だよ、今はそのへんの現代史を全部暗記しなきゃならないんだから」とぼやいた。
伝えたい気持ちがうまく伝わらないもどかしさよりも、親として同情する気持ちの方が大きかった。娘とのタイムラグは32年間。冷戦とその終結を含む32年間の世界史の変動は学習者にとってたいへん大きな負担になるだろう。お気の毒に、というしかない。
今朝の朝刊に「環境税」(地球温暖化対策税)の導入が検討されている記事が載った。かつて「国家と国民のため」と言いつつファシズムが台頭したように、「環境のため」と言いつつ大増税が行われるのだろう。大義名分のために「痛みをわかちあう」という論理がまかりとおっていくことになるはずだ。
科学雑誌「サイエンス」に、この10年間、世界の気温は全く上昇していない、という記事が載ったそうだ。どこへいった地球温暖化?と言いたいところをぐっとこらえて、物事を単純化し、思考停止状態になる危険性を今一度確認したい。
30年後も「地球温暖化」が増税の根拠になるのかどうか、さて、見届けられるまで村上が長生きできるかどうか、ひょっとして、そこまで長生きしなくても意外と早く結論がでたりして、、、。