小6に召集をかけてテストをした

昨日は、火曜日全員集合!と告げると、一斉に反発し「LEC一揆」をおこす、と不穏な発言をしていた子たちも、きょうはしおらしく「昨夜は午前1時までがんばった、すごいじゃろう」と、受験生らしい発言をした。クラスとしての結果はまずまず、許容範囲内の数字が出た。個別にみていけばもちろん大きな課題を抱える子もいる。しかし、あきらめない。ここらかはじまる「あと伸び」がある。ラストスパートは彼ら、彼女らの頼もしい元気にかかっている。「まだ伸びる」「これから伸びる」、なんでもいい。とにかく、あきらめない。

中3、期末の終わった子たちから総復習。小テストの解説に辛めの批評が連発された。あまりに「ゆるい」ミスと、そのミスをうむ弛緩した精神が、高度緊迫状態にはいったLECのコードにひっかかったのだよ。塾の外のことは知らない。塾の中に入ったらテンションを切り換えておくれ。

高1、「先生、きょうの理科失敗しました、やらかしてしまいました」と甘えたことを言う。バカヤロー、と思ったけれど、「英語と数学でとりかえせ」ととりあえずまとめた。常々、「いいか、お前は要領が悪いから、試験前は、英語・数学・理科に全力をあげろ」と言い聞かせてきた子だった。精神的な負担を軽減してやろうと思った甘さがあだになった。甘さは甘さをうむ。わかっていたはずの苦い教訓というべきか。

1992年の18歳人口は200万人、2009年のそれは120万人。この19年間に40%減少した、と何かのコラムにあった。村上がLECをたちあげたのが1991年、その間、全国的には猛烈なスピードで子どもの数が減っていたということだ。少子化対応なんて何も考えずにきた。
時に友人、知人に尋ねられることがある。「子ども?変わったかって?いいや、昔も今も同じ。甘やかされた奴は昔もいたし、立派な奴は今もいる。学力低下?どうかなぁ、昔もひどかったし、今もひどい。主観的にどうこう言ったってはじまらないでしょ、客観的データに基づかない比較論はしょせん枝葉末節に拘泥するだけ、袋小路に陥るのがおち。だから、意味がないように思うよ」
で、この話題はたいがいうやむやになる。友人、知人のみなさん、すみません、実在する子どもたちが抱える具体的な問題に対処していると、実体のかすむ抽象的な世代比較論が不毛にみえてしまう。
現場の人間の悪しき現場主義?かも。