ご報告2

通夜を終えて帰宅しました。


特別養護老人ホームから母を借り受け、因島に向かいました。母は火曜日に父の臨終に立ち会ったことはすでに記憶になく、「久しぶりのドライブ」と顔をほころばせておりました。行動目的をやっとの思いで口にしたのはすでに向島インターを過ぎたあたり。「きょうはね、勝さん(父の名前)のお通夜に行くんだよ」と助手席の母の目を覗き込むようにして口にすると、母の表情がさぁっと変わり、「そう」と、自分の記憶を探っている様子が手にとるように伝わってきました。

メモリアルホール到着後
父の遺体に対面した母は「とうちゃん、とうちゃん」と童女のように嗚咽をもらし、さめざめと泣くばかり、「あっちへ行ったらね、必ず会えるから。ちょっと先に行っただけだから」と声をかけても、背を丸め鼻をすするばかり。

湯灌の儀
係りの方のお誘いにのって、父の冷たくなった脚をスポンジで洗いました。手にとった右足ははっとするほど冷たく、父の体がすでに「死体」であることを思い知らされ、涙がとまらない。

そのあと
化粧もしてもらい、すっかり穏やかな表情になった父を棺に入れる前、「ご家族の方でお別れをしてください」と係りの方が席をはずされたので、横たわる父の真横に布団をしき、疲れた表情の母を横向きに寝かせました。母は手をのばし、父の肩に手を置き、再び「とうちゃん、とうちゃん」とむせび泣きました。

納棺後
母は眠りに落ち、姉や妻が所用で外にでたあと、留守番をしながら、認知症の母を通夜や葬儀に参加させることの意味を自問自答しつづけたけれど、答えは出るはずもなく、父の死を母がどう受けとめ昇華するのか、不安になっていました。妻が帰ってきて昼食をとろうとパッケージのふたに手をかけた瞬間、第一号のお客、S叔父ご夫妻。以下、H叔母と従姉。姪のR、そのフィアンセ。Y叔父と従弟と間があくこともなく次々と到着する方々、お迎え・ごあいさつが繰り返され、お話の輪が広がり、どうなるのだろうと思っていた雰囲気は、あたたかい和みムードでほっと安心。

打ち合わせ
司会の方に呼ばれて、式次第のチェックとリハーサル。

通夜前
40年ぶりに、町内の幼馴染と再会してびっくり。ひとりは受付係として町内会からきていた一級上のYくん。「すっちゃん!」の声に一気に少年にもどり「あっくん!」。バタバタと旧交をあたため、エントランスからホールへむかうと、今度は「すっくん!」「りゅうくん!」。ひぇーと思いつつ入室。参列者に高校の友人K夫妻が見えて、いっそうの感動、「ありがとう」と心で思いつつ着席。

通夜
とどこおりなくすみました。

ありがとうございました

通夜後
親族で思い出話。
姉や私と家族同様に育った二人の叔父のやりとりが面白おかしくてケタケタ笑いました。
姪とフィアンセの放つ幸せオーラがまぶしくほほえましい。
姉が父そっくりの性格をみせ、叔母がからかい、従兄が同意し、姉が例によってむきになって反論する姿がまた父そっくりで、妻とふたりでくすくす笑いました。
母は、久しぶりに大勢の知人・友人に囲まれ、見違えるように生気をとりもどし、大きく成長した姪とフィアンセを祝福し、昔話を自ら披露するまでにカンバック。この記憶が思い出として残れば、と祈りました。
お開きのあと、さっきまで陽気に語っていた叔父が、一転、ぽつりと「兄貴には永遠に長生きして欲しかった」とメガネをはずして目頭をおおい、従弟にむかって「とうさんもいつまでも生きてるわけやあらへんで」と漏らす。

帰り道
ほっこり気分でドライブ。「いい人たち、いいファミリー、思いやりとやさしさにあふれている」という妻の言葉に深くうなずきながら帰宅しました。