感覚なんだろうか

整数問題を扱っていると痛感することがある。子どもひとりひとりの数感覚が恐ろしく多様で、通り一遍の説明で全員を納得させることはまず不可能に近い、ということ。

小学校5年生で、最小公倍数と最大公約数を教えるときは、抽象的な説明を極力省いて、具体例を積み重ねて何回も実際にやってみせ、何回も実際にやらせ、さらに分数の計算ですぐに利用して、役に立つ道具であることを認識させていく。計算になくてはならない道具であるとわかれば、どの子も不思議と扱えるようになる。あとは練習量の問題になる。つまり、抽象的な概念であっても、具体的な作業をするために必要な約束事なら正しく運用できるようになる。算数に、理解は中途半端でも運用には困らない約束事は多いけれど、これもそのひとつか。

中学3年生で、平方根の応用問題になると、小5のようにはいかない。√が役に立つ道具であることが分かるまでに時間がかかるし、「整数部分」「小数部分」といった抽象的な表現がでてくると、とたんに思考停止に陥る子が必ず出てくる。たぶん、無理数のイメージが把握しきれないのだろう。何をどう求めていいのかわからない、ということになる。

考えるしかないよね、と言いつつ、途方にくれた生徒の顔をみていると、数感覚というしかないかぁ、という壁を感じることもある。考えればわかる、という姿勢を基本的に崩すつもりはない。それは最後の一線で、最終防衛ライン。とことん考え抜け、という言葉をしまうわけにはいかない。ただ、問題文の問いかけている内容がピンとこないのではどうしようもない。言っていることがわからないのに、考えようがない。

国語の問題ではない。あくまで数の捉え方-数認識の問題であるような気がする。感覚なんだろうか。安易にそう決め付けるのもどうか、というところなんだが、、、