退院しました。

 塾生の皆さん、保護者のみなさま、たいへんご迷惑をおかけいたしました。

 5か月余りの入院生活にピリオドを打ち、12月16日に退院いたしました。現在、4点杖で歩行。食事をはじめとする身の回りのことは、左手1本で行っています。字は左手でかろうじて判読可能な文字らしきものを書ける状態です。パソコンのキーボードは左手だけで入力中です。

 会話は入院当初から考えればかなり改善されましたが、まだ呂律の怪しいしゃべりかたで、日々のリハビリが欠かせません。10分前後ならほぼほぼ普通に話せても、20分を越えると、声の張りが消え、発語が曖昧になり、言葉の明晰さが失われます。

 7月は、私の記憶にほとんど残っていません。担当だった先生方からは「よくねていましたよ」のお言葉をもらいました。8月中旬、やっと周りの状況が認識されはじめ、

復職するために途方もない努力が必要らしい、と実感し始めました。気ばかり焦って、「一人で立つな」「ひとりでうごくな」という禁止事項を勝手に破っては、都合3回転倒しました。幸い。毎回、尻もちで済み、骨折や捻挫を免れることができたのは不幸中の幸いでした。ただし、病院側からは、きつーいおしかりをいただきました。

 9月になると、できそうなこと、できること、できそうにないことがだんだんと明瞭になってきました。幾許かの絶望と底抜けに楽天的な見通しがないまぜになった状態で、復職の困難さが否応なく明らかになりました。従来型の一斉授業は無理。個別指導も無理。残された道はウエブ上で、編集した問題解説の配信。あまたの先行業者を掻き分けて生き残っていく道を探る、そうした戦略にたどりついたのは11月も下旬。紆余曲折、様々な挫折と断念の末に、決断を下しました

 自分にできることできないことが明確になるのに長い時間がかかり、塾生の皆さんや保護者の皆さんに、はっきりした方針をお伝えするのが遅くなってしまいましたこと、深くお詫びいたします。退院をお待ちくださっていたみなさん、本当にすみません。懸命のリハビリにも関わらず、今までのような授業や指導をする力は戻りませんでした。病院の先生方は、皆さんよくして下さいましたが、損なわれた体の機能はどうしようもありません。むしろ、今使える手足を活用して新しい塾のあり方を探ろうと思います。

 あたらしい希望を全力でカタチにします。皆さんにご紹介できる時が一日も早く訪れるように頑張ります。