トリノオリンピック

 とワードに入力すると、「鳥のオリンピック」になった経験を、いったいどれだけの日本国民がしたのか、たいへん気になる...
 
 荒川選手、おめでと。あなたの金メダルにどれだけの受験生が励まされたか。どれだけの塾関係者が勇気付けられたか。国立大学前期試験を明日に控えた受験生たちの多くが、数年後、きっと自分の大学入試をあなたの金メダルと結びつけて思い起こすことになるでしょう。
 
 僕の記憶にあるのは、中越戦争。
 一年間の浪人生活が、いよいよ試練のときを迎えた、一番最初の試験日。慶應義塾大学文学部の入学試験日の朝、興奮と緊張のあまり、前の晩から遂に一睡もできず、にもかかわらず、依然として頭の中は痛いほどに醒めきっていた午前6時、ラジオで、NHKのニュースが中国のベトナムに対する軍事侵攻を告げた。
 資本主義社会の矛盾に憤り、社会主義全般に対する素朴なシンパシーを抱き、ノンセクトラジカルをおめでたくもお気楽に歩みつつあった当時の僕にとって、国益を超えた国際的連帯で結ばれているはずの社会主義国同士が戦争をすることは、あるはずのない事件だった。
 何もかも隠喩として捉えてしまう被害妄想に近い精神状態においこまれていた頃だったので、中越戦争の勃発そのものが、自分の大学受験の結果を暗示する運命的なお告げに思われた。感情的に悲嘆・慨嘆・憤慨し、この世界の未来を憂い、自分の大学受験の結末に恐怖した。ラジオを消して、堅いまずいパンで朝食をすませ、東武東上線の志木駅まで自転車をこいだ、寒い朝だった。
 はっきり言って、もっとおいしいものをバコバコ食べて、たっぷり睡眠をとって、ユーモアを忘れない生活をしていたら、そんなアホな体験をせずにすんだはずだと、27年たった今では思えるけれど、19歳のあの当時、僕は、僕なりに真剣に悩み、考え、生きていたのだ思うと、愚かしくも哀しく、そのあまりの馬鹿馬鹿しさにあきれ果ててしまう。
 僕が塾屋をやっているのは、ひょっとすると、できることなら17〜19歳の頃の自分を救ってやりたいと、心の中で思っているからで、これはもしかすると、自己愛そのものなんじゃないか。教えることが好きだといいながら、それは一種の自己救済の偽装なんじゃないか。何もかも自分のためにやっているんじゃないか...

 あぁぁぁ。どうして、追いつめられると、いつも、こんなつまらないことを書いてしまうのか。すみません。
 とにかく、明日、全国の国立大学で前期試験を受験するみなさんが、悔いのない、納得のいく受験ができますように。晴れ晴れと、心おだやかに受験会場をあとにできますように。
できれば、LECの受験生にちょっぴり多めに幸運がおとずれてくれるといいんだけどなぁ。