哀悼 岩城宏之さん

 指揮者の岩城氏がなくなられた。巨星落つ、の感が深い。曖昧な記憶で確かめていないのだけれど、今年のゴールデン・ウィークに、NHKのニュースで、ほんの15秒間ぐらい、岩城氏が車椅子で指揮をした演奏会のニュースが流れた。一瞬映った画面の中で、スタンディング・オベイションをする聴衆に向き直った岩城氏がアップになり、口の動きで『ありがとう』とおっしゃったのがわかった。ふいにじんと来て、熱いものがこみあげてきた。
 というのも、実は、その直前にやはりNHK-BSで、氏の「振るマラソン」を取材した特集を見る機会があった。深夜といってよい時間帯。何気なくチャンネルを変えていると、おや、岩城さんだ、やつれたなぁ、と思っているうちに、どんどん引き込まれた。度重なる闘病生活の記録、1日でベートーベンの九つの交響曲を全て指揮するドキュメント、岩城氏のインタヴューから、真の音楽家が音楽に注ぐ情熱の崇高さ・気高さが鬼気迫る圧倒的な迫力で伝わってきた。
 たぶん、音楽の神様にご自分のお命はお預けになっていたのだろう、と思う。
 たまたま、春先から、ベートーベンの交響曲を車の中でずっと順番に聴いていたのも、岩城氏とお別れするためのなにかの縁だったかもしれない、と、何の脈絡もなく思ってしまった。
 昔、昔、まだ僕が高校生(?)の頃、週刊朝日のエッセイで、岩城氏が、カラオケで山口百恵の歌を歌おうとして、譜面をみながらテープを聴くと、百恵さんが、無自覚に一箇所半音高く歌い、曲に絶妙の艶をだしていることに脱帽したお話があった。クラシックのバリバリの指揮者が、歌謡曲の歌手の天才性を絶賛していることに、素晴らしく強い印象を覚えた。
 黛敏郎氏がなくなられたとき、「題名のない音楽会」で、黛氏の代表作の指揮をされたときの、異常な迫力も忘れ難い。
 一度も生の演奏を聴いたことはない、たぶん、氏のCDは一枚ももっていない。音楽を聴く機会よりも、エッセイを読む機会や、新聞の記事を読むことの方が多かった。でも、僕にとっては、偉大な音楽家だった。カルロス・クライバーが数年前に亡くなった時は、なんとも思わなかったのに、どうして、今夜はこんなに淋しい気持ちになるのだろう。個人的にとても大事な人がいなくなってしまったような気がする。
 ご冥福をお祈りしたい。