金光学園の塾対象の学校説明会があった。

 なんと昨年までは学園の所在地であった説明会が、今年は福山の会場にかわった。たいへん喜ばしい。金光学園周辺の田園風景は嫌いじゃないけれど、高速道路を走っていくのは面倒だった。サービス精神ととるか、危機感の表れととるか、なんともいえないけれど、ニューキャッスルじゃなくて、エストパルク(県民文化センター)というところが、学園らしい。去年まで学園で出されていたあの金光饅頭はどうなるんだろう、と思っていたら、ちゃんとテーブルの上にセッティングされていて、金光学園らしさをいっそう感じた。
 内容はよかった。過去最高に良かったといってよい。また、今年すでに出席した英数学館、岡山中学・高校の学校説明会と比べても濃い内容だった。
 まず、校長先生。他の私学の校長が、教育方針、教育理念、あるいは、学校のミッション(使命)についてもっともらしいことを語っても、すぐにコロコロ変わってしまったり、自らの教育実践に根ざした「生きた言葉」で語ることのできない張りぼての蝋人形のような方が多い中で、十余年にわって校長職を務め、宗教的バックボーンに依って不動の姿勢で学校を運営し、教職員を指導し、常に率直に学園の目指すべきあり方を自らの言葉で語ってこられたことに敬意を表したい。
 私学の校長として、心に響く言葉を口にできるのは、僭越ながら、この近辺では、暁の星の校長先生と金光学園の校長先生のお二人だけだろう。宗教者であることの強みを感じる。
 金光学園が、わざわざ福山でおこなう学校説明会なので、校長先生は、もっとアグレッシブに金光学園の存在理由をガンガン説法なさるのか、と思っていた。ところが、いつにもまして温和に教育理念を真っ向から渋く語られたので、僕個人の好感度はアップした。
 さて、教務主任の先生。金光学園の取り組む「探究」について、「高大連携」について、しっとりと熱く語られた。決して、営業風のデカイ声でもなく、媚を含み、笑いをとろうとする軽薄な饒舌でもなく、信じるところを淡々と静かにしかし自信をもって語られ、行事を通した人間形成の重要性と、子どもたちが表現することの意義をさまざまな実践をもとに説明された。一本筋の通った理科的な硬派の教育観が、実にすがすがしかった。金光学園のめざす「欲深教育」の成功を願いたい、と、本気で思った。
 もうひとり、入試制度等の説明に立たれた先生も、落ち着いていて、よどみがなく、真摯にお話されていて好感がもてた。結局、説明会でお話される先生方が体現しているものを通して、僕たちは、その学校に対する評価や印象を決めていく。もちろん、卒業生が、230名ほどいるのに、国公立大学にに55名しか合格していないのは、ちょっとどうかと思うけれど、3年後、あるいは6年後に、入学した子どもらがどれだけ大きな成長を経て、全人格的に陶冶されているか、考えると、目先の数字だけではないものを評価してもいいような気もしてくる。ただし、その点は、人それぞれ、学校に求めるものが異なる以上、評価は分かれるところがあるだろう。
 金光学園が、全人教育を掲げ、勉強もクラブも探究も、と他の学校にはない特色を打ち出し、実践していく営みが、保護者、子どもに理解され、実り豊かな成果をもたらすことを願う。
 潔く週5日制をあきらめ、週6日制、50分授業6つのスタイルに戻したのも英断だと思う。「学習時間の確保」という、きわめて納得のいく理由だから受け入れられるだろう。
 問題は、現在、通っている子たちが、そうした学校の教育方針・教育実践に乗り切れていないところ、いかにも金光学園らしい、個性豊かに向上心強く育つ生徒は、僕のみるところ上位四分の一程度じゃないかしら。ひょっとすると、もっと根本的なところで、もっと原始的な指導やトレーニングが必要な子が多いかもしれない。例えば、社会的なマナーや社会規範を遵守する精神の涵養や、日々の授業に対する取り組み方とか、足元を見直さなければならない部分について、学校側がもっと深い考察があってもよかったかもしれない。まぁ、どこの私学にも言えることだけど。
 どうか、金光学園には、学園の理念の実践、プランの実行に真摯に取り組み、三年後、六年後を見据えた教育を行ってもらいたい。そうした期待をいだかせる説明会であった、と報告しておきます。