昨夜の話、

 予定通り、DVDを観た。「ラ・マンチャの男」

ラ・マンチャの男 [DVD]

ラ・マンチャの男 [DVD]

 セルバンテスとドン・キホーテの二役をピーター・オトゥール が演じている。そもそも僕にとってドン・キホーテと言えば、「時代錯誤の英雄主義者」、「現実認識を欠いた誇大妄想狂」の代名詞であった。ミュージカルがあることは知っていたが、内容に関する知識はゼロ。セルバンテスが風刺した「没落した騎士階級」をどうすれば商業演劇に仕立て上げられるのか、謎と言えば謎であった。
 きっかけは、一冊の本。日経新聞のサイトで、偶然、実に鋭い政治評論をお書きになっている記者の方を見つけ、この人の書いたものなら、はずれはないだろう、ということで、「官邸主導」
官邸主導―小泉純一郎の革命

官邸主導―小泉純一郎の革命

を読んでいたら、期待以上におもしろい。「日本のボブ・ウッドワードと呼んでよいんじゃないの」と思いつつ、読みすすんでいた場面が、昨年6月、郵政民営化解散直前の国会。小泉首相が、衆議院の委員会で野党の議員から批判を浴びる 

「あなたは空想と現実の区別がわからなくなったドン・キホーテだ」
 小泉「実は私はドン・キホーテは好きなんですよ。『ラ・マンチャの男』は大好きなミュージカルの一つであります。『夢みのりがたく、敵あまたなりとも、我は勇みて行かん』」

 のくだりで、思わず大笑いした。小泉氏の実に晴れやかな笑顔が目に映るようであった。いったいこの「見果てぬ夢」という主題歌は、どう歌われているのか、無性に知りたくなった。二十代後半のどこか、中央線の高架下の焼き鳥屋の焼酎のコップの受け皿の中に捨ててきたはずの「英雄願望」が、むっくり目覚めたような心の渇きを覚えた。これまで、小泉氏をカッコイイと考えたことはない。ただ、郵政特別委員会で、大見得を切った発言がその後の経緯と照らし合わせると、まさに時代を切り取ってみせるフレーズになっていることはまちがいない。
 さらに、上記の本にはどきっとするくだりが続く、 

「ラ・マンチャの男」には「最も憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」というセリフも出てくる。

 なんと、僕の日常、いや、人生の核心を突いてくる言葉。どんな場面で、どんな言い回しで、語られるのか、これは確かめねばならない。貫かれた心の穴に痛みを感じたままにしておいてよいものか、という、きわめて個人的な事情から、さっさと床につくべき時に、ひとりリビングのDVDのハードディスクの電源を入れた。
 朦朧とした頭で見たせいか、字幕スーパーで見たせいか、これと言って特筆すべき感動もなかった。感激的な場面は確かにいくつかあったけれど、臨場感に欠け、感情移入できず、ぱっとしなかった。「見果てぬ夢」にしても、ピーター・オトゥールが、妙に直立不動で朗々と謳いあげるだけだし、あとのセリフも、独特の隠喩と過剰な修辞が横溢するセリフのやりとりのなかで、ザラリと出てくるだけで、「あれっ」て思ったときは通り過ぎて、巻き戻して聴きなおす場面でもなかった。
 やっぱり舞台演劇は、舞台でみないとダメなんだろうなぁ、というのが率直な感想。ミュージカルは役者の息遣い飛び散る汗、舞台を踏む足音や衣装のこすれる音がないと、ね。もっと頭が明晰で、心静かに堪能できる時に見たら、違うかも。でも、もう、たぶん、まず、見ない。どうもソフィア・ローレンが肌に合わない。いかにもはまり役なんだけれど、僕の趣味ではなかった。