「忙しい」という

 漢字は、「心を亡くす」という意味だ、という新聞書評の文章を読んで、ギクッとした。「忙しい」が口癖の僕はどうなるんだよぅ、心神喪失状態ってわけかぁ、ちょっと待てよぉ、ということで、白川静の「常用字解」にあたってみた。思ったとおり、そうした劇的な解説はない。どうやら俗説らしい。まったくぅ、人を煽るのはやめてよね。
 ということで、昨日は忙しくてブログまでたどりつけませんでした。きょうもこのあとどうなるかわかりません。4時から授業が始まるときは、11時までノン・ストップ・チャージになることが多くて、祈りたくなる。
 「神様、お願いです。どうか僕を正しい道に導いてください。生徒たちがやさしい問題が解けなくてもいちいち腹をたてないように。限りなく簡単な問題なのに、生徒が何も考えず、どうしようもなくアホな答えを言っても静かに平然としていられるように。あまりのデタラメさに、たとえちょっと腹をたてても、「バカヤロウ」と下品な言葉遣いをしなくてすむように。どうか机やホワイト・ボードをバンバンたたいたり、ドアやゴミ箱を蹴飛ばしたりしなくてすむように。どんな問題の解説もわかりやすいスピードと親しみやすい言葉でできますように。生徒たちが語るわがまま以外のなにものでもない不平不満にも慈愛と共感をもって耳を傾け、生徒の目線にたって理解してやることができますように。決して「アホなことを言うな」とか「何言うてんねん」などと、言下に否定して「誰も君に自分を語ってくれと頼んだ覚えはない」と突き放しませんように。生徒がどんなにくだらない下劣な漫画を読んでいても「そんなもの読むな、脳がくさるぞ」と事実無根の放言をしませんように。生徒が宿題を忘れていても、「落ちるぞ」「不合格になるぞ」「人生、棒に振る気か」と恫喝しませんように。颯爽とさわやかに、心明るく、一点の染みもない晴れ晴れとした気分で授業ができますように。受験勉強を強制収容所の強制労働のようにさせるのではなく、夢を実現するためにのりこえなければならないハードルとして、彼らが自ら積極果敢に跳び越えていく手伝いができますように。どうか、もし、まだ、お空の上のどこかにいて、偉大なる絶対的超越者として、森羅万象をあまねく統括していらっしゃるのなら、愚かな塾屋のささやかな願いをききとどけてくださいまし」
 無理だ、絶対無理だ、100%ありえない。
 でも、すっとした。さぁ、きょうも頑張ろう。